甲陽軍鑑 / 品第四十七
金丸平三郞夜詰に罷出候を長坂長閑が子源五郞目付になり、落合彥介に八幡の前にてきらするなり、平三郞はいつも御城にふせられ候に付、用所有て屋形樣戌の時の御看經の間に小者一人にて忍び宿へまいられ、夜の四ツ時に、何心もなく急ぎ御舘へ罷出るを源五郞よく存じ候てをしへ、平三郎二十一の歲落合彥介にきられたる事、長坂源五郞が讒言の故なりとは彼彥介申こしたるにてほどしれ候なり、
新字:金丸平三郎夜詰に罷出候を長坂長閑が子源五郎目付になり、落合彥介に八幡の前にてきらするなり、平三郎はいつも御城にふせられ候に付、用所有て屋形様戌の時の御看経の間に小者一人にて忍び宿へまいられ、夜の四ツ時に、何心もなく急ぎ御舘へ罷出るを源五郎よく存じ候てをしへ、平三郎二十一の歳落合彥介にきられたる事、長坂源五郎が讒言の故なりとは彼彥介申こしたるにてほどしれ候なり、
書き下し
金丸平三郎夜詰に罷出候を長坂長閑が子源五郎目付になり、落合彥介に八幡の前にてきらするなり、平三郎はいつも御城にふせられ候に付、用所有て屋形様戌の時の御看経の間に小者一人にて忍び宿へまいられ、夜の四ツ時に、何心もなく急ぎ御舘へ罷出るを源五郎よく存じ候てをしへ、平三郎二十一の歳落合彥介にきられたる事、長坂源五郎が讒言の故なりとは彼彥介申こしたるにてほどしれ候なり、
現代語訳
金丸平三郎が夜詰に罷り出で候を、長坂長閑の子の源五郎が目付になり、落合彦助に八幡の前にて斬らするのである。平三郎はいつも御城に伏せられ候につき、用所があって屋形様の戌の時の御看経の間に小者一人にて忍び宿へ参られ、夜の四つ時に何心もなく急ぎ御館へ罷り出るのを、源五郎がよく存じ候いて教え、平三郎は二十一の歳に落合彦助に斬られたる事。長坂源五郎の讒言のゆえであるとは、かの彦助が申し越したるにて、程知れ候なり。
解説
煽った側が、標的の夜の動きまで調べて手引きした。二十一の若者が、主君の勤めの合間に宿へ戻る道で斬られる。そしてそれが讒言によるものだったと、後から下手人自身の申し立てで分かった。そしてそれが讒言によるものだったと、後から下手人自身の申し立てで分かった。二十一の若者が、勤めの合間に宿へ戻る道で斬られている。
この章句が説くこと
讒言手引き金丸落合長坂夜詰
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