甲陽軍鑑 / 品第四十七
信玄公つね〳〵仰られしは、信長あらきなる行義いたすはみな虛言也、我等と輝虎なくは定めて眞に物を執行申さるべく候と、いつも仰られしごとく、今度長篠にての樣子我等不參候へ共、皆語るを承はれば、前に子息の域介信忠のうはさ申されしごとくに少しもかわらず、海道一番の家康當年三十四歲、日本に名高き信長當年四十二歲、いづれも武道·分別ともに盛なり、子息城介信忠と三大將、しかも人數十萬ばかりの大勢なり、又こなたは勝賴公一大將にて、いはんや御年三十歲ことに敵に對せば五分一の人數なり、旁以て信長無理をはたらかるべき所に、節所をかまへ、剩へ柵の木を三重までつけ、大事にいたさるゝ事は手の外にて候、
新字:信玄公つね〳〵仰られしは、信長あらきなる行義いたすはみな虚言也、我等と輝虎なくは定めて真に物を執行申さるべく候と、いつも仰られしごとく、今度長篠にての様子我等不参候へ共、皆語るを承はれば、前に子息の域介信忠のうはさ申されしごとくに少しもかわらず、海道一番の家康当年三十四歳、日本に名高き信長当年四十二歳、いづれも武道·分別ともに盛なり、子息城介信忠と三大将、しかも人数十万ばかりの大勢なり、又こなたは勝頼公一大将にて、いはんや御年三十歳ことに敵に対せば五分一の人数なり、旁以て信長無理をはたらかるべき所に、節所をかまへ、剰へ柵の木を三重までつけ、大事にいたさるゝ事は手の外にて候、
書き下し
信玄公つね〳〵仰られしは、信長あらきなる行義いたすはみな虚言也、我等と輝虎なくは定めて真に物を執行申さるべく候と、いつも仰られしごとく、今度長篠にての様子我等不参候へ共、皆語るを承はれば、前に子息の域介信忠のうはさ申されしごとくに少しもかわらず、海道一番の家康当年三十四歳、日本に名高き信長当年四十二歳、いづれも武道·分別ともに盛なり、子息城介信忠と三大将、しかも人数十万ばかりの大勢なり、又こなたは勝頼公一大将にて、いはんや御年三十歳ことに敵に対せば五分一の人数なり、旁以て信長無理をはたらかるべき所に、節所をかまへ、剰へ柵の木を三重までつけ、大事にいたさるゝ事は手の外にて候、
現代語訳
信玄公が常々仰せられしは、信長が荒き行儀をいたすのはみな虚言である。我らと輝虎がなくば、定めて真に物を執り行い申さるべく候と、いつも仰せられしごとく、今度、長篠にての様子は我らが参らず候えども、皆が語るを承れば、前に子息の城介信忠の噂を申されしごとくに少しも変わらず。海道一番の家康は当年三十四歳、日本に名高き信長は当年四十二歳、いずれも武道・分別ともに盛りである。子息の城介信忠と三大将、しかも人数は十万ばかりの大勢である。またこなたは勝頼公が一大将にて、いわんや御年は三十歳。ことに敵に対せば五分の一の人数である。方々もって信長は無理を働かるべき所に、節所を構え、あまつさえ柵の木を三重までつけ、大事にいたさるる事は手の外にて候。
解説
この章句が説くこと
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論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
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論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
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老子・第15章古の善く士たる者は、微妙玄通、深くして識るべからず。夫れ唯だ識るべからず、故に強いて之が容を為す。豫として冬に川を渉るが若く、猶として四隣を畏るるが若く、儼としてそれ客の若く、渙として氷の将に釈けんとするが若く、敦としてそれ樸の若く、曠としてそれ谷の若く、混としてそれ濁れるが若し。孰か能く濁りて以て之を静かにして徐ろに清まさん。孰か能く安んじて以て久しく之を動かして徐ろに生ぜん。此の道を保つ者は盈つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能く蔽れて新たに成る。