甲陽軍鑑 / 品第四十七
彼の曲淵は信虎公の代より數度の走り廻りをいたし、數ヶ所の手疵をかうふる事度々においてなり、甘利に預けおく米倉丹後·大野·飯富三郞兵衞が下にては、彼の曲淵兩人などは旗本の五人の者共もほめてありときいて候、殊更彼の曲淵は合戰の度に疵をかうむるよし聞き及び候が、近年あまりに手をおふたるさた是なし、上州のみのわにて去年の冬、內藤修理をもつて尋ねて候へば、摩利支天の緣日未精進をいたし候由申す、それは誰にならひて仕るぞと委しく尋ねて候へば、かゞみの大坊の御祕傳なりと申す、彼の文盲なるものが摩利支天經を日々·夜々に讀誦すときく、
新字:彼の曲淵は信虎公の代より数度の走り廻りをいたし、数ヶ所の手疵をかうふる事度々においてなり、甘利に預けおく米倉丹後·大野·飯富三郎兵衛が下にては、彼の曲淵両人などは旗本の五人の者共もほめてありときいて候、殊更彼の曲淵は合戦の度に疵をかうむるよし聞き及び候が、近年あまりに手をおふたるさた是なし、上州のみのわにて去年の冬、内藤修理をもつて尋ねて候へば、摩利支天の縁日未精進をいたし候由申す、それは誰にならひて仕るぞと委しく尋ねて候へば、かゞみの大坊の御秘伝なりと申す、彼の文盲なるものが摩利支天経を日々·夜々に読誦すときく、
書き下し
彼の曲淵は信虎公の代より数度の走り廻りをいたし、数ヶ所の手疵をかうふる事度々においてなり、甘利に預けおく米倉丹後·大野·飯富三郎兵衛が下にては、彼の曲淵両人などは旗本の五人の者共もほめてありときいて候、殊更彼の曲淵は合戦の度に疵をかうむるよし聞き及び候が、近年あまりに手をおふたるさた是なし、上州のみのわにて去年の冬、内藤修理をもつて尋ねて候へば、摩利支天の縁日未精進をいたし候由申す、それは誰にならひて仕るぞと委しく尋ねて候へば、かゞみの大坊の御秘伝なりと申す、彼の文盲なるものが摩利支天経を日々·夜々に読誦すときく、
現代語訳
かの曲淵は信虎公の代より数度の走り回りをいたし、数か所の手疵を被る事は度々においてなり。甘利に預け置く米倉丹後・大野・飯富三郎兵衛が下にては、かの曲淵の両人などは旗本の五人の者どもも褒めてありと聞いて候。ことさら、かの曲淵は合戦の度に疵を被るよし聞き及び候が、近年あまりに手を負うたる沙汰はこれなし。上州の箕輪にて去年の冬、内藤修理をもって尋ねて候えば、摩利支天の縁日に精進をいたし候由を申す。それは誰に習うて仕るぞと委しく尋ねて候えば、鏡の大坊の御秘伝であると申す。かの文盲なる者が、摩利支天経を日々夜々に読誦すと聞く。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十七又小幡山城がむすこ小幡弥次郎おたりの城主を、弟の次郎左衛門其城二のくるわの主なるをうち、則ち其内にて家老をいたす者の頸一ツ合せて三ツとり、高名をしてさいはいをそへ持ち来る、五千の中旗本に二人、先衆に二人合せて四人にすくれたる彼の曲淵、手疵もはやいままでに二十ヶ所あまりかうふるときく、あのやうなる者一備の中に一両人づゝあれば、若者共たしなみてあのごとく手がらを仕り、主や寄親にはをぬきても大事なしとて、殊の外よき者おほく出くる物なりと仰せ出さるゝ、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七彼の曲淵めは、さんぬる時分信州おたりの城において、城主そなへを出す刻板垣信形さき番にあたる時、彼のおたりと板垣のせり合ひ仕る塲にて、広瀨郷左衛門猪子才蔵鑓をあはする、其上、人を討ち、彼の曲淵みしな伝右衛門鑓下の高名をする、おたりの者共しまけて城へつぼむ、それがし見切り、明日板垣信形が備に旗本の若者共指し添へ、内藤修理·原隼人·道遥軒を大将にして、五千を以てせめんと定むる、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七さすがに大剛の者なれば当座に何事もならず、其うへ信玄公の、あのやうなるおぼへの者を浅からず御馳走なさるゝ事に候へば、うへをかぬても旁もつて曲淵は事故なく我家に帰るなり、其後桜井殿四奉行共にめしつれ、訴訟がはにて御前へ出て畏まり居給ふ、信玄公政道かしこき大将にてましませば、四奉行の色をみつけ給ひ、奉行所にて悪逆の族ありて、事破れの狼籍もあるやと不審におぼしめし、桜井各々何事ぞと、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七以上曲淵少左衛門公事負雑言仕義桜井殿訴訟之事一甲陽の武田信玄公御一家の板垣信形ざうり取りに、鳥若と申す者を後には曲淵少左衛門と申して、かくれなき武辺のほまれの者なり、彼の者只今四十歳にあまるまで公事を仕る事七十四五度なり、其内一度勝ち一度はあつかひに仕り残りは皆負け候、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七さて曲淵申すは、直にうち合ひてそれ程に存分いはんと小者中間づれのきく所にてなにしに申すべき、催促をひかずして我等身上のつぶるゝ様に板垣弥次郎殿さしまさば、頸を打ちおとして進ずべきとこそ存ずれと曲淵いふ、弥次郎此上は何共仕べきやうなし、ころす事も扶持はなす事もならず、子細は信玄公御存知の者といひ、其上剛の兵にて、何れの大将衆も曲淵を預りたがるなれば、事故なく座敷を立ち少左衛門は家へ帰る、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七一族の義なり、奉行といひ代官·正員にますと、むかしが今にいたるまで申しならはし候へば、我等が分国中にて降参の侍三代めしつかひ、又は我等まで二十七代に伝はる大将共なり共、惣別大小ともに其方などに慮外は有るまじき所に申さんや、あの曲淵めは昨日今日に至るまで板垣が小者だちの者なり、只今身を仕あげたる分にて、飯富四郎が同心に預け置き候、小身者の体にて直参ならばたゞのものをさへ敬ふべきに、それがしの一族といひ奉行といひ、其方に雑言かつうは某をかろしめたる所なり、