甲陽軍鑑 / 品第四十七
其刻廣瀨郷左衛門申すは、我等よき馬をもたず、明日城責めあるならば高名にはかまふまじ、今朝城主が乘て出たりし金の馬鎧かけたる馬をとらんとことはり、其ごとく翌日城へおしこみ馬を取り、曲淵も前の日廣瀨と一所にて我等は城主の頸をとらんと、諸傍輩のきく所にて板垣信形にことはり、其通り城主を討ち旗本にて諏訪越中が長柄を二本とりて人を十五六人たゝきころばし、其後よき侍を一人頸をねぢきりし、糸のごとくに筋のみへたる頸をもちきたる、
新字:其刻広瀨郷左衛門申すは、我等よき馬をもたず、明日城責めあるならば高名にはかまふまじ、今朝城主が乗て出たりし金の馬鎧かけたる馬をとらんとことはり、其ごとく翌日城へおしこみ馬を取り、曲淵も前の日広瀨と一所にて我等は城主の頸をとらんと、諸傍輩のきく所にて板垣信形にことはり、其通り城主を討ち旗本にて諏訪越中が長柄を二本とりて人を十五六人たゝきころばし、其後よき侍を一人頸をねぢきりし、糸のごとくに筋のみへたる頸をもちきたる、
書き下し
其刻広瀨郷左衛門申すは、我等よき馬をもたず、明日城責めあるならば高名にはかまふまじ、今朝城主が乗て出たりし金の馬鎧かけたる馬をとらんとことはり、其ごとく翌日城へおしこみ馬を取り、曲淵も前の日広瀨と一所にて我等は城主の頸をとらんと、諸傍輩のきく所にて板垣信形にことはり、其通り城主を討ち旗本にて諏訪越中が長柄を二本とりて人を十五六人たゝきころばし、其後よき侍を一人頸をねぢきりし、糸のごとくに筋のみへたる頸をもちきたる、
現代語訳
その刻、広瀬郷左衛門が申すは、我らはよき馬を持たず。明日、城攻めがあるならば高名には構うまじ。今朝、城主が乗って出たりし金の馬鎧をかけたる馬を取らんと断り、そのごとく翌日、城へ押し込み馬を取る。曲淵も前の日、広瀬と一所にて、我らは城主の首を取らんと、諸傍輩の聞く所にて板垣信形に断り、そのとおり城主を討ち、旗本にて諏訪越中が長柄を二本取りて人を十五六人叩き転ばし、その後よき侍を一人、首をねじ切りし、糸のごとくに筋の見えたる首を持ち来る。
解説
この章句が説くこと
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