甲陽軍鑑 / 品第四十七
惣別御幼少よりも終に高わらひなどなされざる大將にて、况哉はや三十四五の時分は、四十五十の人より眞なる信玄公、此度曲淵が申分にて御腹をかゝへ給ふほどわらはせられ、そのゝち仰せ出されける、扨しも曲淵めは物をしらぬ奴哉、たゞ犬のごとくなる物なり、犬が來て花壇をふみちらし、杖をとりておへば、をのれが狼籍さし置き、杖にて追人を鼻にしはをよせ、ほへてのくといへどもしゝや狐·狸にかけてはいさぎよし、
新字:惣別御幼少よりも終に高わらひなどなされざる大将にて、況哉はや三十四五の時分は、四十五十の人より真なる信玄公、此度曲淵が申分にて御腹をかゝへ給ふほどわらはせられ、そのゝち仰せ出されける、扨しも曲淵めは物をしらぬ奴哉、たゞ犬のごとくなる物なり、犬が来て花壇をふみちらし、杖をとりておへば、をのれが狼籍さし置き、杖にて追人を鼻にしはをよせ、ほへてのくといへどもしゝや狐·狸にかけてはいさぎよし、
書き下し
惣別御幼少よりも終に高わらひなどなされざる大将にて、況哉はや三十四五の時分は、四十五十の人より真なる信玄公、此度曲淵が申分にて御腹をかゝへ給ふほどわらはせられ、そのゝち仰せ出されける、扨しも曲淵めは物をしらぬ奴哉、たゞ犬のごとくなる物なり、犬が来て花壇をふみちらし、杖をとりておへば、をのれが狼籍さし置き、杖にて追人を鼻にしはをよせ、ほへてのくといへどもしゝや狐·狸にかけてはいさぎよし、
現代語訳
総別、御幼少よりもついに高笑いなどなされざる大将にて、いわんや、はや三十四五の時分は四十五十の人より真なる信玄公が、この度の曲淵の申し分にて御腹を抱え給うほど笑わせられ、その後に仰せ出だされける。さても曲淵めは物を知らぬ奴かな。ただ犬のごとくなる物である。犬が来て花壇を踏み散らし、杖を取って追えば、おのれが狼藉を差し置き、杖にて追う人を鼻に皺を寄せ、吠えて退くと言えども、獅子や狐・狸にかけては潔よし。
解説
この章句が説くこと
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