甲陽軍鑑 / 品第四十七
其ごとくに柳ノ介も數ケ所の手負ひて弱る故、增城手前へきて一刀被切てころびたらん、さなくして何程の手抦を仕ても、すくる程の近付をそつにおとす事、且は主の用にも立つまじき、孟之反がほごらぬ意地こそ武士の本意なれとて公事は長沼兄弟勝つなり、石田·矢崎·飯室をも一段信玄公よろしく思し召す也、增城源八あしく思し召すといへども、是も大事なくして其公事おはるなり、
新字:其ごとくに柳ノ介も数ケ所の手負ひて弱る故、增城手前へきて一刀被切てころびたらん、さなくして何程の手抦を仕ても、すくる程の近付をそつにおとす事、且は主の用にも立つまじき、孟之反がほごらぬ意地こそ武士の本意なれとて公事は長沼兄弟勝つなり、石田·矢崎·飯室をも一段信玄公よろしく思し召す也、增城源八あしく思し召すといへども、是も大事なくして其公事おはるなり、
書き下し
其ごとくに柳ノ介も数ケ所の手負ひて弱る故、增城手前へきて一刀被切てころびたらん、さなくして何程の手抦を仕ても、すくる程の近付をそつにおとす事、且は主の用にも立つまじき、孟之反がほごらぬ意地こそ武士の本意なれとて公事は長沼兄弟勝つなり、石田·矢崎·飯室をも一段信玄公よろしく思し召す也、增城源八あしく思し召すといへども、是も大事なくして其公事おはるなり、
現代語訳
そのごとくに柳ノ介も数か所の手を負いて弱るゆえに、増城の手前へ来て一刀斬られて転びたらん。さもなくして、いかほどの手柄をいたしても、助くるほどの近づきを卒に落とす事は、かつは主の用にも立つまじき。孟之反が誇らぬ意地こそ武士の本意なれとて、公事は長沼兄弟が勝つのである。石田・矢崎・飯室をも一段、信玄公はよろしく思し召すのである。増城源八は悪しく思し召すと言えども、これも大事なくしてその公事は終わるのである。
解説
相手が弱っていたから最後の一刀で倒れたのだ、と結論づける。そして、助け合った仲間を落として自分を上げる者は主の役にも立たないとし、殿を務めて誇らなかった孟之反を引く。功を語らないことが本意だとされる。功を語らないことが本意だとされる。殿を務めながら誇らなかった孟之反が引かれ、助け合った仲間を落として自分を上げる者は、主の役にも立たないと結ばれている。
この章句が説くこと
孟之反誇らぬ仲間裁き手柄本意
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