甲陽軍鑑 / 品第四十七
もとよりあひても剛の者、如形はたらきて兄弟の者共四人のすけても皆手疵をかうふるといへども、おもひ入りける事なれば、終にうちすますおとこの長八六ケ所手負、何れめしつかふ者どもゝ、三ケ所よりうちに手おふたるはなし、其中に增城源八八ケ所手を負て敵兩人の內、柳ノ介·源八が伐りたるにてころぶ、其後甲州より迎ひ來りてつれて歸る、皆手を養生して、主共六人ながら其年中に疵なをりてよし、長介·長八内の者兩人ながらその塲にて死す、すけ手の內、飯室喜藏內の者六ヶ所ふかく手負ひたる故に國へ歸り死す、
新字:もとよりあひても剛の者、如形はたらきて兄弟の者共四人のすけても皆手疵をかうふるといへども、おもひ入りける事なれば、終にうちすますおとこの長八六ケ所手負、何れめしつかふ者どもゝ、三ケ所よりうちに手おふたるはなし、其中に增城源八八ケ所手を負て敵両人の内、柳ノ介·源八が伐りたるにてころぶ、其後甲州より迎ひ来りてつれて帰る、皆手を養生して、主共六人ながら其年中に疵なをりてよし、長介·長八内の者両人ながらその塲にて死す、すけ手の内、飯室喜蔵内の者六ヶ所ふかく手負ひたる故に国へ帰り死す、
書き下し
もとよりあひても剛の者、如形はたらきて兄弟の者共四人のすけても皆手疵をかうふるといへども、おもひ入りける事なれば、終にうちすますおとこの長八六ケ所手負、何れめしつかふ者どもゝ、三ケ所よりうちに手おふたるはなし、其中に增城源八八ケ所手を負て敵両人の内、柳ノ介·源八が伐りたるにてころぶ、其後甲州より迎ひ来りてつれて帰る、皆手を養生して、主共六人ながら其年中に疵なをりてよし、長介·長八内の者両人ながらその塲にて死す、すけ手の内、飯室喜蔵内の者六ヶ所ふかく手負ひたる故に国へ帰り死す、
現代語訳
もとより相手も剛の者。形のごとく働いて、兄弟の者ども四人の助けもみな手疵を被ると言えども、思い入りける事なれば、ついに討ち済ます。男の長八は六か所の手負い。いずれ召し使う者どもも、三か所より内に手を負うたのはなし。その中に増城源八が八か所の手を負うて、敵両人の内、柳ノ介は源八が斬りたるにて転ぶ。その後、甲州より迎いが来りて連れて帰る。みな手を養生して、主どもは六人ながらその年中に疵が治りてよし。長介・長八の内の者は両人ながらその場にて死す。助け手の内、飯室喜蔵の内の者が六か所深く手負いたるゆえに、国へ帰り死す。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』大取指を斷つと腕を斷つと、天下を利すること相い若くんば、擇ぶこと無きなり。死と生と利、若ければ、一に擇ぶこと無し。一人を殺して以て天下を存するは、一人を殺して以て天下を利するに非ざるなり。已を殺して以て天下を存するは、是れ己を殺して以て天下を利するなり。事為の中に於いて輕重を權る、之を求と謂う。求は之を為すも非なり。害の中に小を取り、義を為さんことを求むるは、義を為すに非ざるなり。暴人の為に天の是を為すを語らんや。而して性、暴人の為にせば、天の非を為すを歌うなり。諸そ陳執、既に為す所有りて、我れ之を為さば、陳執の執る所の為す所は、吾が為す所に因るなり。若し陳執、未だ為す所有らずして、我れ之を陳執に為さば、陳執は吾が為す所に因るなり。暴人、我が為に、天の人を以てするを為すは、是を為すに非ざるなり。而して性、正す可からずして之を正す。
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呂氏春秋・仲秋③是の月や、乃ち宰祝に命じて、犠牲を巡行せしむ。全具を視、芻豢を案じ、肥瘠を瞻、物色を察し、必ず比類して、大小を量り、長短を視、皆度に中らしむ。五つの者備に當りて、上帝其れ享く。天子乃ち儺して、佐疾を禦ぎ、以て秋氣を通ず。犬を以て麻を嘗め、先づ寢廟を祭る。
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呂氏春秋・季夏③是の月や、四監大夫をして百縣の秩芻を合わせ、以て犧牲を養わしむ。民をして咸其の力を出ださせること無からしめ、以て皇天上帝・名山大川・四方の神に供し、以て宗廟社稷の靈を祀り、民の為に福を祈る。
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孔子家語・郊問公曰わく:「其れ郊と言うは、何ぞや。」孔子曰わく:「丘を南に兆すは、陽位に就く所以なり。郊に於てす、故に之を郊と謂う。」曰わく:「其の牲器は何如。」孔子曰わく:「上帝の牛は角璽栗にして、必ず滌に在ること三月。后稷の牛は唯だ具うるのみ、天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。牲は骍を用う、赤を尚べばなり。犢を用うるは、誠を貴べばなり。地を掃いて祭るは其の質なり。器は陶匏を用う、天地の性に象る以てなり。萬物之に稱う可き者無し、故に其の自然の體に因るなり。」
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呂氏春秋・季春⑧是の月や、乃ち纍牛・騰馬・游牝を牧に合わせ、犧牲・駒犢は、舉げて其の數を書す。國人儺し、九門に磔禳し、以て春氣を畢う。
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呂氏春秋・仲春⑦是の月や、祀に犠牲を用いず、圭璧、更に皮幣を用う。