甲陽軍鑑 / 品第四十七
さて翌年未の正月、增城源八·長助·長八が御前のよきをそねみて、柳ノ介をば我等討てとらせたり、手負事も兄には四ケ所、弟は六ケ所、我等はわき人なれど八ケ所手負ひて、柳ノ介を某がしの殺したる故おぼへとらするとて增城源八郞申す口にて、源八が親類共ひろき者なれば、各々方々ありき、長沼長介·長八が手抦、我等親類の增城源八を賴たる故なりと申しひろむる、
新字:さて翌年未の正月、增城源八·長助·長八が御前のよきをそねみて、柳ノ介をば我等討てとらせたり、手負事も兄には四ケ所、弟は六ケ所、我等はわき人なれど八ケ所手負ひて、柳ノ介を某がしの殺したる故おぼへとらするとて增城源八郎申す口にて、源八が親類共ひろき者なれば、各々方々ありき、長沼長介·長八が手抦、我等親類の增城源八を頼たる故なりと申しひろむる、
書き下し
さて翌年未の正月、增城源八·長助·長八が御前のよきをそねみて、柳ノ介をば我等討てとらせたり、手負事も兄には四ケ所、弟は六ケ所、我等はわき人なれど八ケ所手負ひて、柳ノ介を某がしの殺したる故おぼへとらするとて增城源八郎申す口にて、源八が親類共ひろき者なれば、各々方々ありき、長沼長介·長八が手抦、我等親類の增城源八を頼たる故なりと申しひろむる、
現代語訳
さて翌年、未の正月、増城源八が、長助・長八の御前がよいのを嫉んで、柳ノ介をば我らが討って取らせたり、手負いの事も兄には四か所、弟は六か所、我らは脇人なれど八か所手負いて、柳ノ介をそれがしが殺したるゆえに覚えを取らするとて、増城源八郎が申す口にて、源八の親類どもは広き者であれば、方々を歩き、長沼長介・長八の手柄は、我ら親類の増城源八を頼みたるゆえであると申し広むる。
解説
声をかけられる相手を嫉んで、自分の傷の数と誰を倒したかを並べ立てる。しかも本人だけでなく、親類が手分けして言い広める。傷の数という動かせない事実が、手柄の付け替えに使われている。傷の数という動かせない事実が、手柄の付け替えに使われている。しかも本人だけでなく、親類が手分けして言い広めているのが厄介である。
この章句が説くこと
嫉み手柄親類言い広め増城傷
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『甲陽軍鑑』品第四十七もとよりあひても剛の者、如形はたらきて兄弟の者共四人のすけても皆手疵をかうふるといへども、おもひ入りける事なれば、終にうちすますおとこの長八六ケ所手負、何れめしつかふ者どもゝ、三ケ所よりうちに手おふたるはなし、其中に增城源八八ケ所手を負て敵両人の内、柳ノ介·源八が伐りたるにてころぶ、其後甲州より迎ひ来りてつれて帰る、皆手を養生して、主共六人ながら其年中に疵なをりてよし、長介·長八内の者両人ながらその塲にて死す、すけ手の内、飯室喜蔵内の者六ヶ所ふかく手負ひたる故に国へ帰り死す、
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