甲陽軍鑑 / 品第四十七
抑々長沼兄弟幼少より思ひまふけて、討らすましたる敵を友傍輩の身として惡名を申し、なき事を作り、よき事をけすは比興也、長沼兄弟が目安の文章、飯室·矢崎·石田三人の書付を見るも、四人の者共に樣々歸れといふせんさく、暫らく申たるとあれば、長沼兄弟が四人の者をやとふたると申事にても有まじ、
新字:抑々長沼兄弟幼少より思ひまふけて、討らすましたる敵を友傍輩の身として悪名を申し、なき事を作り、よき事をけすは比興也、長沼兄弟が目安の文章、飯室·矢崎·石田三人の書付を見るも、四人の者共に様々帰れといふせんさく、暫らく申たるとあれば、長沼兄弟が四人の者をやとふたると申事にても有まじ、
書き下し
抑々長沼兄弟幼少より思ひまふけて、討らすましたる敵を友傍輩の身として悪名を申し、なき事を作り、よき事をけすは比興也、長沼兄弟が目安の文章、飯室·矢崎·石田三人の書付を見るも、四人の者共に様々帰れといふせんさく、暫らく申たるとあれば、長沼兄弟が四人の者をやとふたると申事にても有まじ、
現代語訳
そもそも長沼兄弟が幼少より思い設けて討ち済ましたる敵を、友傍輩の身として悪名を申し、なき事を作り、よき事を消すは比興である。長沼兄弟の目安の文章、飯室・矢崎・石田三人の書付を見るも、四人の者どもにさまざま帰れという詮索を、しばらく申したるとあれば、長沼兄弟が四人の者を雇うたと申す事にてもあるまじ。
解説
ないことを作り、あったことを消すのは卑怯だと断ずる。そのうえで書面を突き合わせ、帰れと繰り返し説得した経緯が双方の書付に残っていることから、雇った関係ではないと判じる。文章に残った押し問答が証拠になっている。文章に残った押し問答が証拠になっている。帰れと繰り返し説得した経緯が双方の書付に残っているので、雇った関係ではないと判じられる。書いたものが、後で人を守っている。
この章句が説くこと
比興作り話書付証拠裁き長沼
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