甲陽軍鑑 / 品第四十七
若しにぐる者などをば心の剛なるにもよらず、かけあしのはやき者次第に伐りとめんずるぞ、又大剛の兵と若侍としあふて、剛の者みぞや石につまづきてころび、纔かのせがれにきりころさるゝ事あるべし、それは時の仕合にて、けがのまけと云ふ物也、勝つも不慮の手抦なり、然れ共若者大剛の者と立ち向ふ意地をほめたり、ころしたるばかりに目を付けてほむるは、溝や石をほむる道理なり、
書き下し
若しにぐる者などをば心の剛なるにもよらず、かけあしのはやき者次第に伐りとめんずるぞ、又大剛の兵と若侍としあふて、剛の者みぞや石につまづきてころび、纔かのせがれにきりころさるゝ事あるべし、それは時の仕合にて、けがのまけと云ふ物也、勝つも不慮の手抦なり、然れ共若者大剛の者と立ち向ふ意地をほめたり、ころしたるばかりに目を付けてほむるは、溝や石をほむる道理なり、
現代語訳
もし逃げる者などをば、心の剛なるにもよらず、駆け足の速い者次第に斬り止めんずるぞ。また大剛の兵と若侍とし合うて、剛の者が溝や石につまづいて転び、わずかの倅に斬り殺さるる事があるべし。それは時の仕合わせにて、怪我の負けという物である。勝つも不慮の手柄である。しかれども、若者が大剛の者と立ち向かう意地を褒めたり。殺したるばかりに目を付けて褒めるのは、溝や石を褒める道理である。
解説
逃げる者を討ち止めるのは足の速さ、大剛の者が転ぶのは溝や石のせいである。結果だけを見て褒めるなら、褒めているのは溝や石ということになる。褒めるべきは、大剛の相手に立ち向かった意地のほうだとする。褒めるべきは、大剛の相手に立ち向かった意地のほうだとする。結果だけを見て褒めるなら、褒めているのは溝や石だという言い方が鋭い。
この章句が説くこと
結果運意地評価溝裁き
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