甲陽軍鑑 / 品第四十七
其上、石田·矢崎·飯室三人の者共申す口も、如形手抦の樣子なり、數年心懸け大勢の敵をうちすましたる儀は、千英万雄も尤是なり、さて又敵を我手にかけてきりふせぬと申す事、それは武道をしらずして弓矢無鍛鍊なる人の申す、となり、
新字:其上、石田·矢崎·飯室三人の者共申す口も、如形手抦の様子なり、数年心懸け大勢の敵をうちすましたる儀は、千英万雄も尤是なり、さて又敵を我手にかけてきりふせぬと申す事、それは武道をしらずして弓矢無鍛錬なる人の申す、となり、
書き下し
其上、石田·矢崎·飯室三人の者共申す口も、如形手抦の様子なり、数年心懸け大勢の敵をうちすましたる儀は、千英万雄も尤是なり、さて又敵を我手にかけてきりふせぬと申す事、それは武道をしらずして弓矢無鍛錬なる人の申す、となり、
現代語訳
そのうえ、石田・矢崎・飯室の三人の者どもが申す口も、形のごとく手柄の様子である。数年心懸けて大勢の敵を討ち済ましたる儀は、千英万雄ももっともこれである。さてまた、敵を我が手にかけて斬り伏せぬと申す事、それは武道を知らずして弓矢無鍛錬なる人の申す事となり。
解説
誰が自分の手で斬ったかを問題にする言い分を、戦を知らない者の言い草だと退ける。数年かけて大勢の相手を討ち済ましたこと自体を、千人万人に値する働きとして数えている。数年かけて大勢の相手を討ち済ましたこと自体を、千人万人に値する働きとして数えている。誰の手で斬ったかを問う言い分は、戦を知らない者の言い草だと退けられ、手柄の単位そのものが引き直されている。
この章句が説くこと
手柄実戦物差し心懸け裁き信玄
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