甲陽軍鑑 / 品第四十七
その後長沼兄弟聞き分けて歸れといはず、さて四五日ありて諏訪の市へ右の靑柳柳之介·同綠之介出る、敵兄弟ながら殊の外剛の者也然れ共、身上能して上下十五人にて出る、長沼長助が方にも、すけぜい上下八人、兄弟上下四人、以上十二人なれば被官ども申すは、先今度は敵討無用になさるべし、子細は敵小勢にて、ねらふ人大勢にしてこそ、なされすますべきに、結句ねらふ人はすくなうして、敵大勢なれば、あなたこなたがうたるべし、其上かたきは此あたり助の者共同國なれば、知人おほくてすくる者有べし、必ず今度は思ひとどまり給へと申、
新字:その後長沼兄弟聞き分けて帰れといはず、さて四五日ありて諏訪の市へ右の青柳柳之介·同綠之介出る、敵兄弟ながら殊の外剛の者也然れ共、身上能して上下十五人にて出る、長沼長助が方にも、すけぜい上下八人、兄弟上下四人、以上十二人なれば被官ども申すは、先今度は敵討無用になさるべし、子細は敵小勢にて、ねらふ人大勢にしてこそ、なされすますべきに、結句ねらふ人はすくなうして、敵大勢なれば、あなたこなたがうたるべし、其上かたきは此あたり助の者共同国なれば、知人おほくてすくる者有べし、必ず今度は思ひとどまり給へと申、
書き下し
その後長沼兄弟聞き分けて帰れといはず、さて四五日ありて諏訪の市へ右の青柳柳之介·同綠之介出る、敵兄弟ながら殊の外剛の者也然れ共、身上能して上下十五人にて出る、長沼長助が方にも、すけぜい上下八人、兄弟上下四人、以上十二人なれば被官ども申すは、先今度は敵討無用になさるべし、子細は敵小勢にて、ねらふ人大勢にしてこそ、なされすますべきに、結句ねらふ人はすくなうして、敵大勢なれば、あなたこなたがうたるべし、其上かたきは此あたり助の者共同国なれば、知人おほくてすくる者有べし、必ず今度は思ひとどまり給へと申、
現代語訳
その後、長沼兄弟は聞き分けて帰れとは言わず。さて四五日あって、諏訪の市へ右の青柳柳之介・同緑之介が出る。敵は兄弟ながら殊のほか剛の者である。しかれども身上がよくして、上下十五人にて出る。長沼長助の方にも助勢が上下八人、兄弟が上下四人、以上十二人であれば、被官どもが申すには、まず今度は敵討ちを無用になさるべし。子細は、敵が小勢にて狙う人が大勢にしてこそ、なされ済ますべきに、結局は狙う人が少なうして敵が大勢であれば、あなたこなたが討たるべし。そのうえ、敵はこのあたりの助の者どもが同国であれば、知人が多くて助くる者があるべし。必ず今度は思いとどまり給えと申す。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十七以上長沼長助·長八親の敵討事付增城源八郎と同長助·長八公事之事一永禄元年戊午に公事あがる濫觴を尋ぬるに、甲州西郡今諏訪と云所に長沼長右衛門とて元は板垣譜代ずじ也、此者用有りて信濃へ行き、其比は信濃国未だ武田の御手に不入、又信州座光寺被官に青柳柳之介·同綠之介と申兄弟の者、様子何としてやらん今の長沼長右衛門を殺所に長右衛門が子に長沼長介長八とて両人あり、此兄弟に母が申しをしへてあればこそ、一度親の敵をうたんとたくみ年月積り、兄は廿一弟は二十歳の春、思ひ立ち信州へ罷越し、親の敵をうたんとて諏訪や塩尻のあたりに宿をとり、しのびまはりて目をつけ出たる所をうたんと、百日あまり信濃に逗留する、
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『甲陽軍鑑』品第四十七誠に右敵討の時、長助·長八兄弟は手前十分になき故喧嘩にいたしたるかと屋形様おぼしめすならば、跡にて誰もよく申しあげては有るまじ、さありてはかばねのうへの恥辱なり、さて又是は只の事にあらず、侍道の事なれば目安をもつて信玄公の御さばきに仕られ、それにてまけなば、それは両人次第と石田·矢崎·飯室三人長沼兄弟に異見いたす故、
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『甲陽軍鑑』品第四十七長沼長助·長八是をきゝ、こゝをのがしては又いつの時にうつべきぞ、甲斐の国を出るより、いきて帰らんと思ふにこそ、をのれ両人は只今より国へもどり、武田の八幡へ参り、御宮右の方なる杉の枝にかき物をいたしてゆひつくる、それは此度かたきを仕らずば、国もとへ帰るまじとの事なりとてきつてかゝる、
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『甲陽軍鑑』品第四十七もとよりあひても剛の者、如形はたらきて兄弟の者共四人のすけても皆手疵をかうふるといへども、おもひ入りける事なれば、終にうちすますおとこの長八六ケ所手負、何れめしつかふ者どもゝ、三ケ所よりうちに手おふたるはなし、其中に增城源八八ケ所手を負て敵両人の内、柳ノ介·源八が伐りたるにてころぶ、其後甲州より迎ひ来りてつれて帰る、皆手を養生して、主共六人ながら其年中に疵なをりてよし、長介·長八内の者両人ながらその塲にて死す、すけ手の内、飯室喜蔵内の者六ヶ所ふかく手負ひたる故に国へ帰り死す、
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『甲陽軍鑑』品第四十七殊更增城源八義信公おちの人の甥なる故、是への軽薄にするの勘がへもなく、むざと增城源八手抦と申すにより、そこにて長沼兄弟是非とも討果たすべきとは覚悟いたす、右すけて四人の内、石田長蔵·矢崎新九郎·飯室喜蔵三人の申す様に、尤も其の方兄弟道理千万なり、各々諏訪より只何となく帰り候はゞ、髻をはらふべきこと誓紙をいたして、今かやうに源八申さるれば、此三人の者どもをも定めて兄弟の人疑ひ給ふべし、さりながら源八郎と其方両人はたし給はゞ、此三人をも公儀より御せんさくつよからん、又貴殿両人も源八をきりころしてあるならば、
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『甲陽軍鑑』品第四十七抑々長沼兄弟幼少より思ひまふけて、討らすましたる敵を友傍輩の身として悪名を申し、なき事を作り、よき事をけすは比興也、長沼兄弟が目安の文章、飯室·矢崎·石田三人の書付を見るも、四人の者共に様々帰れといふせんさく、暫らく申たるとあれば、長沼兄弟が四人の者をやとふたると申事にても有まじ、