淮南子 / 本經訓
昔容成氏之時,道路雁行列處,托嬰兒于巢上,置餘糧於畮首,虎豹可尾,虺蛇可蹍,而不知其所由然。逮至堯之時,十日並出,焦禾稼,殺草木,而民無所食。猰貐、鑿齒、九嬰、大風、封豨、修蛇皆為民害。堯乃使羿誅鑿齒于疇華之野,殺九嬰于凶水之上,繳大風於青丘之澤,上射十日而下殺猰貐,斷修蛇於洞庭,禽封豨于桑林,萬民皆喜,置堯以為天子。於是天下廣狹、險易、遠近,始有道裡。舜之時,共工振滔洪水,以薄空桑,龍門未開,呂梁未發,江、淮通流,四海溟涬,民皆上丘陵,赴樹木。
新字:昔容成氏之時,道路雁行列処,托嬰児于巣上,置余糧於畮首,虎豹可尾,虺蛇可蹍,而不知其所由然。逮至堯之時,十日並出,焦禾稼,殺草木,而民無所食。猰貐、鑿歯、九嬰、大風、封豨、修蛇皆為民害。堯乃使羿誅鑿歯于疇華之野,殺九嬰于凶水之上,繳大風於青丘之沢,上射十日而下殺猰貐,断修蛇於洞庭,禽封豨于桑林,万民皆喜,置堯以為天子。於是天下広狭、険易、遠近,始有道裡。舜之時,共工振滔洪水,以薄空桑,竜門未開,呂梁未発,江、淮通流,四海溟涬,民皆上丘陵,赴樹木。
書き下し
昔 容成氏の時、道路 雁行して列處し、嬰兒を巢の上に托し、餘糧を畮首に置き、虎豹も尾す可く、虺蛇も蹍む可くして、其の然る所以を知らざりき。堯の時に逮び至りて、十日並び出で、禾稼を焦がし、草木を殺して、民 食らう所無し。猰貐・鑿齒・九嬰・大風・封豨・修蛇 皆な民の害を為す。堯 乃ち羿をして鑿齒を疇華の野に誅せしめ、九嬰を凶水の上に殺し、大風を青丘の澤に繳し、上は十日を射て下は猰貐を殺し、修蛇を洞庭に斷ち、封豨を桑林に禽にす。萬民 皆な喜び、堯を置きて以て天子と為す。是に於いて天下の廣狹・險易・遠近、始めて道裡有り。舜の時、共工 洪水を振滔して、以て空桑に薄る。龍門 未だ開けず、呂梁 未だ發かず、江・淮 通流し、四海 溟涬として、民 皆な丘陵に上り、樹木に赴く。
現代語訳
昔、容成氏の時代には、道では雁のように列をなして歩き、赤子を巣の上に預け、余った食糧を畑のはしに置き、虎や豹の尾を踏むことができ、まむしや蛇を踏んでも大丈夫で、しかもなぜそうなのかを知らなかった。堯の時代になると、十の日が並んで出て、稲を焦がし、草木を枯らし、民は食べるものがなくなった。猰貐・鑿歯・九嬰・大風・封豨・修蛇が、みな民の害となった。堯は羿に命じて、鑿歯を疇華の野で誅し、九嬰を凶水のほとりで殺し、大風を青丘の沢で射落とし、上は十の日を射て下は猰貐を殺し、修蛇を洞庭で断ち、封豨を桑林で捕らえさせた。万民はみな喜び、堯を立てて天子とした。そこで天下の広い狭い、険しい平らか、遠い近いに、はじめて道のりというものができた。舜の時代には、共工が洪水を起こして空桑に迫った。龍門はまだ開かれず、呂梁はまだ通されず、長江と淮水は入り混じって流れ、四方の海は果てしなく広がり、民はみな丘に上り、木に登った。
解説
この章句が説くこと
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