甲陽軍鑑 / 品第四十
二番鑓·三番鑓までは敵によりくづれかぬるつよき敵はあり、何と强き敵にても四番めにははや追頸にてあり、さるほどに信玄公御家にて鑓はおほうして、ふたり·三人三番鍵と云ふ事は終にきかず、
書き下し
二番鑓·三番鑓までは敵によりくづれかぬるつよき敵はあり、何と强き敵にても四番めにははや追頸にてあり、さるほどに信玄公御家にて鑓はおほうして、ふたり·三人三番鍵と云ふ事は終にきかず、
現代語訳
二番槍・三番槍までは、敵によって崩れかねる強い敵はある。どんなに強い敵でも、四番めにはもう追い首である。さるほどに、信玄公の御家で槍は多くて、二人・三人が三番槍ということはついに聞かない。
解説
強い敵でも三番槍までで崩れ、四番めからは追い首になるという実測。だから武田家では三番槍を二人三人が名乗ることはない、と続く。手柄の申告に無理が利かないよう、線が経験則で引かれている。手柄の申告に無理が利かないよう、線が経験則で引かれている。三番槍までで崩れるのだから、四番めからは追い首として別に数えられる。
この章句が説くこと
一番鑓三番鑓追頸強敵線引き手柄
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十小身にても本の兵一番鑓·二番鑓を多ほうして三番鑓も、强敵又は大敵ならば自然にあらん、それにつゞきて鑓わきかたなにてこたゆる人ひとつなり、弓にてこたゆる人二なり、鉄炮にてこたゆる人三なり、就中鑓下の高名は一番の人にさしつゞきての武功なり、扨又大将をうつ人は大略十が九ツ追頸とおほしめせ、然れ共国もつ大将をうつ人は国五ケ国·十ヶ国の家にもおほうして二人·三人ならでなし、扨其冥加を感じて是又まれの武士と云ふ、
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『甲陽軍鑑』品第四十抜出る侍の意地は敵あひ十間·廿間又一町にても勝負のはじまるすこしまへが、おのこの善悪のみゆる所なり、子細は矢·鉄炮のせりあひさかりの事は、廿間·卅間·一町の内にてある、それをちかくよれば鑓の戦なり、然ば一番鑓を一度ほむるも、人のすこまぬにすぐれて抜出る覚悟をこそ、ほまれの鑓下の高名も、右すゝむ人より敵のちかくへよりての勝負成故、一番鑓にさしつどきてほむる、さりながら敵ちかく行共一番鑓におとりたるは其高名と申も、鑓にて敵をおさへてさするいはれを以て右の通りなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大将死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大将分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、
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『甲陽軍鑑』品第四十如件一敵討の事、先づねらはるゝ人は常にね所をかへ、昼夜用心して其上路次を行くにかたき待ちて居ると聞けば、脇道を通り跡へもどり、何やうに仕りてもうたれぬ如に分別尤もなり、此儀を無案内なる人々比興といふ共不苦信玄家の作法はかくの分にて候、
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『甲陽軍鑑』品第四十一ねらふ人は其身のけがをしたる意趣ならば、夜昼共に狙ふてしほす時、かたな·脇指或は鑓·長刀まではくるしかるまじ、扨又親兄弟·師匠·伯父·従弟迄のかたきうちならば、弓·鉄炮にても仕すますを手がらにいたし候へ、我意趣切りにも、かたきうちにも、かたきの家へしのびこみて切りすますは一入よき心ばせと申さんなり、よそは何ともあれ信玄家の作法此如、
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『甲陽軍鑑』品第四十むかしが今に至るまで武士の作法にて候と馬塲美濃守申しさだむるなり一馬塲美濃守申す、右はなしうちの者、手がらにて討手の人をきりころして後、各科人をしとむるといふ共、一の手がらは、かばねの上まではじめぬき出たる人の手がらならん、子細は勝負をして人を一人きりころすにおいては、ちとくたびるゝものにて候、それは後の世にも度々勝負なされつけたる人、此合点尤もなるべし、合戦·せりあひの時、おひ頸の事はいかんもあれ、辛労して仕る高名はしるし一ツにてもちとくたびれ候、草臥は又次の勝負は存分のごとく成りかぬるなり、