甲陽軍鑑 / 品第四十七
さて今の囚人しゆりけんうちたる時は、むかさ與一郎が仕形如何と尋ね給へば、町人共申すは、むかさ殿二三間しさり給ふと申す、信玄公仰られ候は、うしろへしさりたるか、めしうどの方へ、むかさかうしろをむけてのきたるかと尋給ふ、うしろをむけてにぐるとて右の股へわきさしなげ付られてより、むかさ殿ころびなされ候、其間に志村殿來りて頸をきりはなし候と申しあぐれば、信玄公きこしめじ、此むかさ與一郎なにのやくにも立つまじき者也、批判に及ばぬと宣ふ、
新字:さて今の囚人しゆりけんうちたる時は、むかさ与一郎が仕形如何と尋ね給へば、町人共申すは、むかさ殿二三間しさり給ふと申す、信玄公仰られ候は、うしろへしさりたるか、めしうどの方へ、むかさかうしろをむけてのきたるかと尋給ふ、うしろをむけてにぐるとて右の股へわきさしなげ付られてより、むかさ殿ころびなされ候、其間に志村殿来りて頸をきりはなし候と申しあぐれば、信玄公きこしめじ、此むかさ与一郎なにのやくにも立つまじき者也、批判に及ばぬと宣ふ、
書き下し
さて今の囚人しゆりけんうちたる時は、むかさ与一郎が仕形如何と尋ね給へば、町人共申すは、むかさ殿二三間しさり給ふと申す、信玄公仰られ候は、うしろへしさりたるか、めしうどの方へ、むかさかうしろをむけてのきたるかと尋給ふ、うしろをむけてにぐるとて右の股へわきさしなげ付られてより、むかさ殿ころびなされ候、其間に志村殿来りて頸をきりはなし候と申しあぐれば、信玄公きこしめじ、此むかさ与一郎なにのやくにも立つまじき者也、批判に及ばぬと宣ふ、
現代語訳
さて、いまの囚人が手裏剣を打ちたる時は、武笠与一郎の仕形はいかにと尋ね給えば、町人どもが申すは、武笠殿は二三間退り給うと申す。信玄公が仰せられ候は、後ろへ退りたるか、召し人の方へ向いたまま、武笠が後ろを向けて退きたるかと尋ね給う。後ろを向けて逃げるとて、右の股へ脇指を投げ付けられてより、武笠殿は転びなされ候。その間に志村殿が来りて首を斬り放し候と申し上ぐれば、信玄公が聞こし召し、この武笠与一郎は何の役にも立つまじき者である、批判に及ばぬと宣う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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『韓非子』忠孝第五十一人の臣と為りて、常に先王の德厚を譽めて之を願うは、是れ其の君を誹謗する者なり。・・・其の君を非る者は、天下之を賢とす。此れ亂るる所以なり。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」