甲陽軍鑑 / 品第四十七
五人十人の町人にてもなく五十人にあまりたる町人口をそろへて申す、志村殿は十四五間跡よりおふてまします、むかさ殿は立むかふて何事ぞと不審をたて候、志村金ノ助殿あとより、それをとある言葉をきゝ其まゝ刀をぬき、五間計りそとへにげのびたるを押つめ給ふに、今の囚人ははやとをくから一たんに逃來る故か、くたびれ心にてむかさ殿に追付られ、二太刀にてうつむきにふすを、むかさ殿たちまわりて頸をきらんとなさるゝを、かの中間あふのきに成ながら手に持たる脇指を、むかさ殿へなげつけ申候、其間に志村金ノ介殿かけつけて頸切はなし申され候と町人共申せば、
新字:五人十人の町人にてもなく五十人にあまりたる町人口をそろへて申す、志村殿は十四五間跡よりおふてまします、むかさ殿は立むかふて何事ぞと不審をたて候、志村金ノ助殿あとより、それをとある言葉をきゝ其まゝ刀をぬき、五間計りそとへにげのびたるを押つめ給ふに、今の囚人ははやとをくから一たんに逃来る故か、くたびれ心にてむかさ殿に追付られ、二太刀にてうつむきにふすを、むかさ殿たちまわりて頸をきらんとなさるゝを、かの中間あふのきに成ながら手に持たる脇指を、むかさ殿へなげつけ申候、其間に志村金ノ介殿かけつけて頸切はなし申され候と町人共申せば、
書き下し
五人十人の町人にてもなく五十人にあまりたる町人口をそろへて申す、志村殿は十四五間跡よりおふてまします、むかさ殿は立むかふて何事ぞと不審をたて候、志村金ノ助殿あとより、それをとある言葉をきゝ其まゝ刀をぬき、五間計りそとへにげのびたるを押つめ給ふに、今の囚人ははやとをくから一たんに逃来る故か、くたびれ心にてむかさ殿に追付られ、二太刀にてうつむきにふすを、むかさ殿たちまわりて頸をきらんとなさるゝを、かの中間あふのきに成ながら手に持たる脇指を、むかさ殿へなげつけ申候、其間に志村金ノ介殿かけつけて頸切はなし申され候と町人共申せば、
現代語訳
五人十人の町人にてもなく、五十人にあまる町人が口を揃えて申す。志村殿は十四五間跡より追うておられる。武笠殿は立ち向かうて何事ぞと不審を立て候。志村金ノ助殿が跡より、それをとある言葉を聞き、そのまま刀を抜き、五間ばかり外へ逃げ延びたのを押し詰め給うに、いまの囚人は早や遠くから一段に逃げ来るゆえか、草臥れ心にて武笠殿に追い付かれ、二太刀にてうつむきに伏すのを、武笠殿が立ち回りて首を斬らんとなさるるを、かの中間が仰のきになりながら手に持った脇指を武笠殿へ投げつけ申し候。その間に志村金ノ介殿が駆け付けて首を斬り放し申され候と町人どもが申せば。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十七信玄公宣ふは、脇指をなげ付られてから、むかさ与一郎は其ころびたる中間をきりたるかと尋ね給ふ、町人共申は、切なされず候、其死人に刀目はいくつありたると尋給ふ、はじめむかさ殿伐給ふ二刀にてころび候、さて志村殿跡より来りて頸を伐給ひ候と申す、信玄公きこしめし、其くびは一刀にてはなれたるかと尋給ふ、町人ども申すは、一刀にてはなれ、したの石へきりつけなされ候間、御撿使をたてられ御覧なされ候共、今に其石にきず御座候と申すに付、則金ノ介が刀を銘々御前衆にみせなされ候、其塲へ廿人頭両人さし越しみせ給ひて、
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『甲陽軍鑑』品第四十七或る時甲府にてむかさ与一郎あそひに出る時刻、志村金の助被官を折檻致し、口ごたへ仕りたるとて刀をぬきて今の中間をきらんと仕候へば、被官も大脇指をぬき、ふりながらむこくにかけいづる、跡より金の助追かくれども中間殊の外達者なる者にてにげのびぬ、さて右のむかさ与一郎宿へもどるとて此仕合にゆきあたる、もとより志村金の介と二なき近付也、さなくとても侍の役、旁以てのことなれば、刀抜むかふ此中間むかさにきられて、ころびながら持たる大脇指を投つけて、むかさ与一郎がふともゝへ三寸ばかりたつ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七ざて志村金の介追付し、にくしと申て中間のくびをきりはなす、むかさ申は、はや死したるに其まゝ置給へといふ、さて又むかさ与一郎が少手を負たれば志村殊の外迷惑に存知、かねて宿をかすなれば猶以てむかさ与一郎をつれだちて、昼夜離れず養生仕りながら各傍輩衆に志村金ノ介申すは、むかさ此手にて果られば、志村金ノ介もともに腹を破りて死なんと、金打を仕候へども、あさ手にて五十日の間に平愈する、
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『甲陽軍鑑』品第四十七又町人共に尋ね給ふは、右囚人のわきざしなげたる時は、間地かゝるべきか、遠かりつるかと尋ね給へば、町人共近かしと申す、ちかくにふしてなげたらば、刀届くほどにては股へうらかく程にたつまじ、殊に今ほど冬なる間手ぢかくにて、ねながらなげたるは、きる物をうちとほすほど脇指に力入まじ、とをければ又手をのばして、いかにもしなへてうつにより、たとへば火ばしにてもふかく立物なり、ちかげれば、つよみが入りかぬるをもつて夫程は通るまじ、但しそれも、はゞやき刀·脇指にては蠅の舞ひかこりて、きえきるゝもある程にあらそはれぬ事也、
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『甲陽軍鑑』品第四十七さて今の囚人しゆりけんうちたる時は、むかさ与一郎が仕形如何と尋ね給へば、町人共申すは、むかさ殿二三間しさり給ふと申す、信玄公仰られ候は、うしろへしさりたるか、めしうどの方へ、むかさかうしろをむけてのきたるかと尋給ふ、うしろをむけてにぐるとて右の股へわきさしなげ付られてより、むかさ殿ころびなされ候、其間に志村殿来りて頸をきりはなし候と申しあぐれば、信玄公きこしめじ、此むかさ与一郎なにのやくにも立つまじき者也、批判に及ばぬと宣ふ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七信玄公金ノ介に尋ねなさるゝは、家の内にて一太刀も合たるかと仰らる、志村金ノ介兎角の返事も申上ず、懐ろより熊野の牛王に起請の書たるを取出し廿人頭へ渡す、其起請の趣きも金ノ介手前別の事なし、さていまのはなし討の所はいづくぞと御尋なされ候へば、工少路にて候と申故、工少路の町人悉く召寄られあるやうに申上ずは、がうもんして尋ね有べきとある上意なれば、