甲陽軍鑑 / 品第四十七
信玄公金ノ介に尋ねなさるゝは、家の內にて一太刀も合たるかと仰らる、志村金ノ介兎角の返事も申上ず、懷ろより熊野の牛王に起請の書たるを取出し廿人頭へ渡す、其起請の趣きも金ノ介手前別の事なし、さていまのはなし討の所はいづくぞと御尋なされ候へば、工少路にて候と申故、工少路の町人悉く召寄られあるやうに申上ずは、がうもんして尋ね有べきとある上意なれば、
新字:信玄公金ノ介に尋ねなさるゝは、家の内にて一太刀も合たるかと仰らる、志村金ノ介兎角の返事も申上ず、懐ろより熊野の牛王に起請の書たるを取出し廿人頭へ渡す、其起請の趣きも金ノ介手前別の事なし、さていまのはなし討の所はいづくぞと御尋なされ候へば、工少路にて候と申故、工少路の町人悉く召寄られあるやうに申上ずは、がうもんして尋ね有べきとある上意なれば、
書き下し
信玄公金ノ介に尋ねなさるゝは、家の内にて一太刀も合たるかと仰らる、志村金ノ介兎角の返事も申上ず、懐ろより熊野の牛王に起請の書たるを取出し廿人頭へ渡す、其起請の趣きも金ノ介手前別の事なし、さていまのはなし討の所はいづくぞと御尋なされ候へば、工少路にて候と申故、工少路の町人悉く召寄られあるやうに申上ずは、がうもんして尋ね有べきとある上意なれば、
現代語訳
信玄公が金ノ介に尋ねなさるるは、家の内にて一太刀も合わせたるかと仰せられる。志村金ノ介はとかくの返事も申し上げず、懐ろより熊野の牛王に起請を書いたのを取り出し、二十人頭へ渡す。その起請の趣きも、金ノ介の手前は別の事なし。さて、いまの話し討ちの所はいずくぞと御尋ねなされ候えば、工小路にて候と申すゆえ、工小路の町人を悉く召し寄せられ、あるように申し上げずは拷問して尋ねあるべきとある上意であれば。
解説
本人の言い分は聞くが、それだけでは決めない。討った場所を聞き出し、そこの町人を全員呼び出す。侍の起請と、町人の目という二つの証拠を並べて調べにかかっている。侍の起請と、町人の目という二つの証拠を並べて調べにかかっている。本人の言い分は聞くが、それだけでは決めない。討った場所を特定し、そこに居合わせた者を残らず呼び出すという手順が踏まれている。
この章句が説くこと
起請町人証言取調べ工小路信玄
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『甲陽軍鑑』品第四十七又町人共に尋ね給ふは、右囚人のわきざしなげたる時は、間地かゝるべきか、遠かりつるかと尋ね給へば、町人共近かしと申す、ちかくにふしてなげたらば、刀届くほどにては股へうらかく程にたつまじ、殊に今ほど冬なる間手ぢかくにて、ねながらなげたるは、きる物をうちとほすほど脇指に力入まじ、とをければ又手をのばして、いかにもしなへてうつにより、たとへば火ばしにてもふかく立物なり、ちかげれば、つよみが入りかぬるをもつて夫程は通るまじ、但しそれも、はゞやき刀·脇指にては蠅の舞ひかこりて、きえきるゝもある程にあらそはれぬ事也、
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『甲陽軍鑑』品第四十八公事になりて跡先の算用をきはむれば、出家金子の方に一度取たると申て女をかへさず、弾左衛門いきたる内、女とられて後も、少しつゝは年々に返弁いたすは此女を取かへさんといふ事、證人いくたりもありといへども、以上に法順女をもどさねば科におとして、彼僧を糺明より外は別になし、さありて仏体をまなぶ出家を、楚忽に糺明いたす事、何と無智の僧にても下々にてならざるやうに、信玄公常々の御仕置なれば、奉行則屋形へ申上らるゝ故、