甲陽軍鑑 / 品第四十七
又町人共に尋ね給ふは、右囚人のわきざしなげたる時は、間地かゝるべきか、遠かりつるかと尋ね給へば、町人共近かしと申す、ちかくにふしてなげたらば、刀屆くほどにては股へうらかく程にたつまじ、殊に今ほど冬なる間手ぢかくにて、ねながらなげたるは、きる物をうちとほすほど脇指に力入まじ、とをければ又手をのばして、いかにもしなへてうつにより、たとへば火ばしにてもふかく立物なり、ちかげれば、つよみが入りかぬるをもつて夫程は通るまじ、但しそれも、はゞやき刀·脇指にては蠅の舞ひかこりて、きえきるゝもある程にあらそはれぬ事也、
新字:又町人共に尋ね給ふは、右囚人のわきざしなげたる時は、間地かゝるべきか、遠かりつるかと尋ね給へば、町人共近かしと申す、ちかくにふしてなげたらば、刀届くほどにては股へうらかく程にたつまじ、殊に今ほど冬なる間手ぢかくにて、ねながらなげたるは、きる物をうちとほすほど脇指に力入まじ、とをければ又手をのばして、いかにもしなへてうつにより、たとへば火ばしにてもふかく立物なり、ちかげれば、つよみが入りかぬるをもつて夫程は通るまじ、但しそれも、はゞやき刀·脇指にては蠅の舞ひかこりて、きえきるゝもある程にあらそはれぬ事也、
書き下し
又町人共に尋ね給ふは、右囚人のわきざしなげたる時は、間地かゝるべきか、遠かりつるかと尋ね給へば、町人共近かしと申す、ちかくにふしてなげたらば、刀届くほどにては股へうらかく程にたつまじ、殊に今ほど冬なる間手ぢかくにて、ねながらなげたるは、きる物をうちとほすほど脇指に力入まじ、とをければ又手をのばして、いかにもしなへてうつにより、たとへば火ばしにてもふかく立物なり、ちかげれば、つよみが入りかぬるをもつて夫程は通るまじ、但しそれも、はゞやき刀·脇指にては蠅の舞ひかこりて、きえきるゝもある程にあらそはれぬ事也、
現代語訳
また町人どもに尋ね給うは、右の囚人が脇指を投げた時は、間近くあったろうか、遠かりつるかと尋ね給えば、町人どもは近しと申す。近くに伏して投げたらば、刀が届くほどにては、股へ裏へ抜けるほどには立つまじ。ことに今ほど冬であるあいだ、手近くにて、寝ながら投げたのは、着る物を打ち通すほど脇指に力は入るまじ。遠ければ、また手を伸ばして、いかにもしなえて打つにより、たとえば火箸にても深く立つ物である。近ければ、強みが入りかねるをもって、それほどは通るまじ。ただし、それも幅の薄い刀・脇指にては、蠅の舞いがかかって消え斬るるもある程に、争われぬ事である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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論語・衛霊公篇子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所有らば、其れ試みる所有らん。斯の民や、三代の直道にして行いし所以なり。
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説苑・君道湯曰く、「薬食は先ず卑に嘗めしめ、然る後に貴に至る。薬言は先ず貴に献じ、然る後に卑に聞こゆ」と。故に薬卑に嘗めしめ、然る後に貴に至るは、教えなり。薬言貴に献じ、然る後に卑に聞こゆるは、道なり。故に人をして食を味わしめて然る後に食する者は、其の味を得ること多し。人をして言を味わしめて然る後に言を聞く者は、其の言を得ること少なし。是を以て明王の言は、必ず自ら他に之を聴かしめ、必ず自ら他に之を聞かしめ、必ず自ら他に之を択ばしめ、必ず自ら他に之を取らしめ、必ず自ら他に之を聚めしめ、必ず自ら他に之を蔵せしめ、必ず自ら他に之を行わしむ。故に道は数ば之を取るを以て明と為し、数ば之を行うを以て章と為し、数ば之を万物に施すを以て蔵と為す。是の故に道を求むる者は目を以てせずして心を以てし、道を取る者は手を以てせずして耳を以てす。
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荀子・大略篇語に曰く、「流丸(りゅうがん)は甌臾(おうゆ)に止まり、流言は知者に止まる」と。此れ家言(かげん)邪説の儒者を悪(にく)む所以(ゆゑん)なり。是非疑はしければ、則ち之を度(はか)るに遠き事を以てし、之を験(ため)すに近き物を以てし、之に参(まじ)ふるに平らかなる心を以てす。流言焉(ここ)に止まり、悪言焉に死す。
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