甲陽軍鑑 / 品第四十七
分別よくて申は、今はたして死るならば、かばねのうへにて、むかさ與一郎が申ごとく誠に志村金ノ助が中間を一人しかねて、近付のむかさを賴み仕すまして、其儀あらはれて、はづかしきとて果したるとあれば、全体大身の上にせぬ、軍に負け給ふ名を取がごとくなり、左候はゞ又親の名までくだすといふて、目安を書、飯富兵部にきかせ、それにてもしかと理篇つかざるは、
新字:分別よくて申は、今はたして死るならば、かばねのうへにて、むかさ与一郎が申ごとく誠に志村金ノ助が中間を一人しかねて、近付のむかさを頼み仕すまして、其儀あらはれて、はづかしきとて果したるとあれば、全体大身の上にせぬ、軍に負け給ふ名を取がごとくなり、左候はゞ又親の名までくだすといふて、目安を書、飯富兵部にきかせ、それにてもしかと理篇つかざるは、
書き下し
分別よくて申は、今はたして死るならば、かばねのうへにて、むかさ与一郎が申ごとく誠に志村金ノ助が中間を一人しかねて、近付のむかさを頼み仕すまして、其儀あらはれて、はづかしきとて果したるとあれば、全体大身の上にせぬ、軍に負け給ふ名を取がごとくなり、左候はゞ又親の名までくだすといふて、目安を書、飯富兵部にきかせ、それにてもしかと理篇つかざるは、
現代語訳
分別よくて申すには、いま果たして死ぬるならば、屍の上にて、武笠与一郎が申すごとく、まことに志村金ノ助が中間を一人仕りかねて、近づきの武笠を頼み仕り済まして、その儀が現れて恥ずかしいとて果てたるとあれば、全体、大身の上にせぬ、軍に負け給う名を取るがごとくなり。さ候わば、また親の名まで下すと言うて、目安を書き、飯富兵部に聞かせ、それにてもしかと理篇が付かざるは。
解説
腹を切れば相手の言い分を認めたことになる、と踏みとどまる。死んだ後は自分で言い返せず、屍の上に相手の話だけが残る。しかもそれは親の名まで下げる。感情ではなく、その後の名の残り方から手を選んでいる。感情ではなく、その後の名の残り方から手を選んでいる。死んだ後は自分で言い返せず、屍の上に相手の話だけが残るからである。
この章句が説くこと
志村名屍目安分別自制
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