甲陽軍鑑 / 品第四十七
さて其後武かさ與一郞方々へありき、志村金ノ介が中間大剛者にて金ノ介しあましたるを、我等が仕出してくれ候故、如此手おふたるとて、島の湯なとにて股の疵少しのあとを諸人に見する故、志村金ノ助是をきゝ、大なるいひ事になる、されども志村金ノ介おぼへの者のすぢなれば、
新字:さて其後武かさ与一郎方々へありき、志村金ノ介が中間大剛者にて金ノ介しあましたるを、我等が仕出してくれ候故、如此手おふたるとて、島の湯なとにて股の疵少しのあとを諸人に見する故、志村金ノ助是をきゝ、大なるいひ事になる、されども志村金ノ介おぼへの者のすぢなれば、
書き下し
さて其後武かさ与一郎方々へありき、志村金ノ介が中間大剛者にて金ノ介しあましたるを、我等が仕出してくれ候故、如此手おふたるとて、島の湯なとにて股の疵少しのあとを諸人に見する故、志村金ノ助是をきゝ、大なるいひ事になる、されども志村金ノ介おぼへの者のすぢなれば、
現代語訳
さてその後、武笠与一郎が方々へ歩き、志村金ノ介の中間は大剛者にて金ノ介が仕り余したのを、我らが仕出してくれ候ゆえに、このとおり手を負うたとて、島の湯などにて股の疵の少しの跡を諸人に見せるゆえに、志村金ノ助がこれを聞き、大きなる言い事になる。されども志村金ノ介は覚えの者の筋であれば。
解説
助けられた側が、あちこちで手柄話をして回る。あなたの手に余った相手を私が片付けてやったのだ、と言い、湯屋で小さな傷跡を見せる。看病された恩が、語られるうちに逆向きの話になっていく。看病された恩が、語られるうちに逆向きの話になっていく。湯屋で小さな傷跡を見せるという細部が、この人物の底を見せている。同じ出来事でも、誰が語るかで別の話になってしまうという例である。
この章句が説くこと
武笠志村手柄話疵湯言い事
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十七ざて志村金の介追付し、にくしと申て中間のくびをきりはなす、むかさ申は、はや死したるに其まゝ置給へといふ、さて又むかさ与一郎が少手を負たれば志村殊の外迷惑に存知、かねて宿をかすなれば猶以てむかさ与一郎をつれだちて、昼夜離れず養生仕りながら各傍輩衆に志村金ノ介申すは、むかさ此手にて果られば、志村金ノ介もともに腹を破りて死なんと、金打を仕候へども、あさ手にて五十日の間に平愈する、
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『甲陽軍鑑』品第四十七或る時甲府にてむかさ与一郎あそひに出る時刻、志村金の助被官を折檻致し、口ごたへ仕りたるとて刀をぬきて今の中間をきらんと仕候へば、被官も大脇指をぬき、ふりながらむこくにかけいづる、跡より金の助追かくれども中間殊の外達者なる者にてにげのびぬ、さて右のむかさ与一郎宿へもどるとて此仕合にゆきあたる、もとより志村金の介と二なき近付也、さなくとても侍の役、旁以てのことなれば、刀抜むかふ此中間むかさにきられて、ころびながら持たる大脇指を投つけて、むかさ与一郎がふともゝへ三寸ばかりたつ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七扨て件の志村金ノ助度々の手がらにて有りつるが時田合戦に討死する、其子に志村金右衛門と申す、飯富兵部御成敗ありて後、兵部同心諸手へわけらるゝ、此志村金右衛門をば板垣殿へ付け下さるゝ、板垣家中にても平原宮内ノ介·志村金右衛門とて両人わか手の持く侍なり如件、
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『甲陽軍鑑』品第四十七さて翌年未の正月、增城源八·長助·長八が御前のよきをそねみて、柳ノ介をば我等討てとらせたり、手負事も兄には四ケ所、弟は六ケ所、我等はわき人なれど八ケ所手負ひて、柳ノ介を某がしの殺したる故おぼへとらするとて增城源八郎申す口にて、源八が親類共ひろき者なれば、各々方々ありき、長沼長介·長八が手抦、我等親類の增城源八を頼たる故なりと申しひろむる、
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『甲陽軍鑑』品第四十七彼志村金ノ助親は志村金之丞といふて信虎公の御代に、駿河さはの原にて信虎公氏綱と合戦ありて信虎公勝給ふ時、畢竟飯富兵部が廿七八の時、强き事巳の時なるを以て、北条家をつきくづす、其刻此金ノ介が親の志村金之丞一番に鎗をいれはじめ、其外度々の手抦の者なり、節々手疵をかうふる故一入煩ひにて終に死する、彼親いひをしへにて、牢人衆などを金ノ助念比仕り候、