甲陽軍鑑 / 品第四十七
雁廿人衆·小人衆に仰つけられ、兩人ながらめし取、耳鼻をかきて諸侍にみせ、かり坂をこさせよと有事にて、坂際にてふたりながら頸をきらるゝ也、其刻より五十七ヶ條の法度書相定る也如件
新字:雁廿人衆·小人衆に仰つけられ、両人ながらめし取、耳鼻をかきて諸侍にみせ、かり坂をこさせよと有事にて、坂際にてふたりながら頸をきらるゝ也、其刻より五十七ヶ条の法度書相定る也如件
書き下し
雁廿人衆·小人衆に仰つけられ、両人ながらめし取、耳鼻をかきて諸侍にみせ、かり坂をこさせよと有事にて、坂際にてふたりながら頸をきらるゝ也、其刻より五十七ヶ条の法度書相定る也如件
現代語訳
雁二十人衆・小人衆に仰せ付けられ、両人ながら召し取り、耳鼻を欠いて諸侍に見せ、雁坂を越させよとある事にて、坂際にて二人ながら首を斬られるのである。その刻より、五十七か条の法度書を相定めるのである、件のごとし。
解説
刀を抜かない諍いをした二人が、耳と鼻を欠かれて家中に見せ回され、追放の途中で斬られる。しかもこの一件から五十七か条の法度が書き定められた。家の掟が、一つの事件を起点にして立てられている。家の掟が、一つの事件を起点にして立てられている。刀を抜かない諍いをした二人が、見せ回されたうえで追放の途中に斬られている。
この章句が説くこと
処断見せしめ法度信玄掟起点
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