甲陽軍鑑 / 品第四十
目付衆·橫目衆頓而御耳に立る、信玄公きこしめし、長坂長閑·石黑豐前·ごみ新右衛門を御使になされ、則ち書立をもつて仰下さるゝ、其御書の趣き南部下野·山本勘介と云ふ大剛の兵を惡口の事ぶせんさくなる儀なり一山本勘介小身成者の城取·陣取まことしからぬとある儀、
新字:目付衆·横目衆頓而御耳に立る、信玄公きこしめし、長坂長閑·石黒豊前·ごみ新右衛門を御使になされ、則ち書立をもつて仰下さるゝ、其御書の趣き南部下野·山本勘介と云ふ大剛の兵を悪口の事ぶせんさくなる儀なり一山本勘介小身成者の城取·陣取まことしからぬとある儀、
書き下し
目付衆·横目衆頓而御耳に立る、信玄公きこしめし、長坂長閑·石黒豊前·ごみ新右衛門を御使になされ、則ち書立をもつて仰下さるゝ、其御書の趣き南部下野·山本勘介と云ふ大剛の兵を悪口の事ぶせんさくなる儀なり一山本勘介小身成者の城取·陣取まことしからぬとある儀、
現代語訳
目付衆・横目衆がやがて御耳に立てる。信玄公が聞し召し、長坂長閑・石黒豊前・五味新右衛門を御使いになされ、すなわち書き立てをもって仰せ下される。その御書の趣きは、南部下野が山本勘介という大剛の兵を悪口した事、詮索のない儀である、と。一、山本勘介は小身である者で、城取り・陣取りがまことしからぬとある儀。
解説
陰口が目付から主君の耳に届き、書面で三か条の申し渡しが下る。使者は三人、内容は箇条書き。陰口が処分の対象になっていること、しかも口頭ではなく書面で理由を並べて示すところに、この家の仕置きの形が見える。陰口が処分の対象になっていること、しかも口頭ではなく書面で理由を並べて示すところに、この家の仕置きの形が見える。使者は三人である。
この章句が説くこと
目付横目書立悪口仕置処分
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