甲陽軍鑑 / 品第四十
そこにて內藤修理申、それは散々の儀なり、さありては馬を能のらば博勞をも上杉家にとめて騎馬の五百騎も千騎も預け給はんが、其分別にてこそ我より少敵の氏康に度々切負給ふは氏康のぶのよきにはあらず、道理がつまりてかくの分也と內藤修理申、
新字:そこにて内藤修理申、それは散々の儀なり、さありては馬を能のらば博労をも上杉家にとめて騎馬の五百騎も千騎も預け給はんが、其分別にてこそ我より少敵の氏康に度々切負給ふは氏康のぶのよきにはあらず、道理がつまりてかくの分也と内藤修理申、
書き下し
そこにて内藤修理申、それは散々の儀なり、さありては馬を能のらば博労をも上杉家にとめて騎馬の五百騎も千騎も預け給はんが、其分別にてこそ我より少敵の氏康に度々切負給ふは氏康のぶのよきにはあらず、道理がつまりてかくの分也と内藤修理申、
現代語訳
そこで内藤修理が申す。それは散々の儀である。そうであっては、馬をよく乗らば博労をも上杉家に留めて、騎馬の五百騎も千騎も預け給わんか。その分別であってこそ、我より少ない敵の氏康に度々斬り負け給うのは、氏康の分がよいのではない。道理が詰まってこの分であると内藤修理が申す。
解説
弓が上手いだけで弓大将にするなら、馬が上手いだけの博労にも騎馬千騎を預けるのかと押し返す。そのうえで、少ない敵に負け続けるのは相手が優れているからではなく、この人の使い方の筋が通っていないからだと言い切っている。少ない敵に負け続けるのは相手が優れているからではなく、この人の使い方の筋が通っていないからだと言い切っている。押し返し方が鋭い。
この章句が説くこと
登用一芸博労氏康道理内藤
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