甲陽軍鑑 / 品第四十
そこにて今井伊勢守武功譽れの功者故、方便て相手を見知たるやうにいはるれば、敵鑓をひきて、さも候はんと挨拶する內に今井伊勢守かせもの多くかけつくる、則ち内衆に申付、今の敵をうちとむる、これらは太刀をつかはず兵法しらずとも兵法仁と申て、名人のほくでんが一ッ太刀是なり、
新字:そこにて今井伊勢守武功誉れの功者故、方便て相手を見知たるやうにいはるれば、敵鑓をひきて、さも候はんと挨拶する内に今井伊勢守かせもの多くかけつくる、則ち内衆に申付、今の敵をうちとむる、これらは太刀をつかはず兵法しらずとも兵法仁と申て、名人のほくでんが一ッ太刀是なり、
書き下し
そこにて今井伊勢守武功誉れの功者故、方便て相手を見知たるやうにいはるれば、敵鑓をひきて、さも候はんと挨拶する内に今井伊勢守かせもの多くかけつくる、則ち内衆に申付、今の敵をうちとむる、これらは太刀をつかはず兵法しらずとも兵法仁と申て、名人のほくでんが一ッ太刀是なり、
現代語訳
そこで今井伊勢守は武功誉れの功者であるゆえに、方便して相手を見知ったように言われれば、敵は鑓を引いて、さも候わんと挨拶する内に、今井伊勢守の加勢者が多く駆け付ける。すなわち内衆に申し付け、今の敵を討ち留める。これらは太刀を使わず兵法を知らずとも兵法仁と申して、名人の卜伝が一つ太刀はこれである。
解説
突き落とされそうな場面を、知り合いのふりをする一言で止めた。相手が鑓を下ろして応じているあいだに味方が到着し、討ち取る。太刀も兵法も使っていないのにこれを兵法仁と呼び、卜伝の一つ太刀と同じだと言い切っている。太刀も兵法も使っていないのにこれを兵法仁と呼び、卜伝の一つ太刀と同じだと言い切っている。知り合いのふりが、そのまま技になった。
この章句が説くこと
今井方便言葉時兵法仁卜伝
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