甲陽軍鑑 / 品第四十
それをいかんと申に、それがし其時は武田の御家へ參らず、飯富兵部少輔殿雜談を承りつるが、今井伊勢守殿戶石合戰の時、越後衆の退口に長身の鑓をもつて馬はなれたる敵一人退く所へ、今井伊勢守馬にて乘ころばさんと有し時、件の敵さすがの謙信衆なる故、鑓をなおし今井伊勢守をつき落さんとするを、件の侍は歩にてはたらき自由なり、馬上は不自由なり、馬を乘てにぐれば比興なり、
新字:それをいかんと申に、それがし其時は武田の御家へ参らず、飯富兵部少輔殿雑談を承りつるが、今井伊勢守殿戸石合戦の時、越後衆の退口に長身の鑓をもつて馬はなれたる敵一人退く所へ、今井伊勢守馬にて乗ころばさんと有し時、件の敵さすがの謙信衆なる故、鑓をなおし今井伊勢守をつき落さんとするを、件の侍は歩にてはたらき自由なり、馬上は不自由なり、馬を乗てにぐれば比興なり、
書き下し
それをいかんと申に、それがし其時は武田の御家へ参らず、飯富兵部少輔殿雑談を承りつるが、今井伊勢守殿戸石合戦の時、越後衆の退口に長身の鑓をもつて馬はなれたる敵一人退く所へ、今井伊勢守馬にて乗ころばさんと有し時、件の敵さすがの謙信衆なる故、鑓をなおし今井伊勢守をつき落さんとするを、件の侍は歩にてはたらき自由なり、馬上は不自由なり、馬を乗てにぐれば比興なり、
現代語訳
それをいかんと申すに、それがしはその時は武田の御家へ参らず、飯富兵部少輔殿の雑談を承ったが、今井伊勢守殿が戸石合戦の時、越後衆の退き口に、長身の鑓をもって馬から放れた敵一人が退く所へ、今井伊勢守が馬にて乗り転ばさんとあった時、かの敵はさすがの謙信衆であるゆえに、鑓を直して今井伊勢守を突き落とさんとするのを。かの侍は徒歩にて働き自由である。馬上は不自由である。馬を乗って逃げれば比興である。
解説

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