甲陽軍鑑 / 品第四十
扨又兵法仁と申は勿論上手につかひ、少々手前あまりきどくなしとも、度々勝負にかち手がらをいたす人、河中島合戰に討死仕らるゝ山本勘介、扨はなみあひ備前長刀をもつて我は一人、敵は二百人ばかりを七八十人きり候て、其身は堅固に罷退、切所とは申ながら何樣大きなるはたらきのなみあひ備前·山本勘介兩人などをば兵法のうへに名人のぼくでん、上手の前原がうへからも褒貶の批判は成がたく候、
新字:扨又兵法仁と申は勿論上手につかひ、少々手前あまりきどくなしとも、度々勝負にかち手がらをいたす人、河中島合戦に討死仕らるゝ山本勘介、扨はなみあひ備前長刀をもつて我は一人、敵は二百人ばかりを七八十人きり候て、其身は堅固に罷退、切所とは申ながら何様大きなるはたらきのなみあひ備前·山本勘介両人などをば兵法のうへに名人のぼくでん、上手の前原がうへからも褒貶の批判は成がたく候、
書き下し
扨又兵法仁と申は勿論上手につかひ、少々手前あまりきどくなしとも、度々勝負にかち手がらをいたす人、河中島合戦に討死仕らるゝ山本勘介、扨はなみあひ備前長刀をもつて我は一人、敵は二百人ばかりを七八十人きり候て、其身は堅固に罷退、切所とは申ながら何様大きなるはたらきのなみあひ備前·山本勘介両人などをば兵法のうへに名人のぼくでん、上手の前原がうへからも褒貶の批判は成がたく候、
現代語訳
さてまた兵法仁と申すのは、もちろん上手に使い、少々手前にあまり奇特はなくとも、度々の勝負に勝ち手柄をいたす人。川中島合戦に討死なされる山本勘介、さては波合備前が長刀をもって、我は一人、敵は二百人ばかりを七八十人斬り候って、その身は堅固に罷り退く。切所とは申しながら、どのようにも大きなる働きの波合備前・山本勘介の両人などをば、兵法のうえに名人の卜伝、上手の前原の上からも、褒貶の批判はなしがたく候。
解説
三つ目が兵法仁で、見た目の奇特はなくても実際の勝負で勝ち続ける者である。一人で二百人に当たり七八十人を斬って無事に退いたような働きは、名人にも上手にも評しようがないという。実地の結果を最上に置いている。実地の結果を最上に置いている。一人で二百人に当たって七八十人を斬り、無事に退いたような働きは、名人にも上手にも評しようがない。
この章句が説くこと
兵法仁勘介備前実地名人上手
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『甲陽軍鑑』品第四十其いはれは手がらつくの塲数の儀、其勝負を見たる人おほからん、剛なる手からをば敵にも味方にもたゞしき耳きく沢山にてかくれなき者也、いはんや勘介·備前などは立あふたる人多く、此山本勘介·なみあひ備前ふたり衆のやうなるは兵法仁と申候はん、兵法仁は武士道にいたれば太刀つかはぬ人にもあるげに候、
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『甲陽軍鑑』品第四十一小幡上総守申さるゝ、さるほどに兵法つかひ·兵法者·兵法仁三人あり、先第一に兵法つかひは另おもてなどつかふて、ならひのごとく人におしゆる是兵法つかひなり、第二に兵法者は太刀の甲乙仕り分、勝負のならひよくして上手なる者は、それがしかこへおく前原筑前などにて候、
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『甲陽軍鑑』品第四十一夫軍法は兵法也、其いはれは陣なき時、武士かけむかひの勝負をばきりあひ、或はしあひと申、此勝負にうたがひなく勝ことをよく習ひ畢りて是をよく手に熟して、而して後、勝負を決して度々の勝利を得て、我名をとつて人にも是をおしゆるを能兵法仁と名付、
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