甲陽軍鑑 / 品第四十
中國牢人井上新左衞門と申侍の雜談に、唐には何樣に賤敷者をも心の至たるをよき人とほむる、南蠻には、ねの高直なる小袖をきて、きらのいつくしき者をよき人と申す由きけば、すへになりたる家は人の褒貶南蠻流なり、
新字:中国牢人井上新左衛門と申侍の雑談に、唐には何様に賤敷者をも心の至たるをよき人とほむる、南蠻には、ねの高直なる小袖をきて、きらのいつくしき者をよき人と申す由きけば、すへになりたる家は人の褒貶南蠻流なり、
書き下し
中国牢人井上新左衛門と申侍の雑談に、唐には何様に賤敷者をも心の至たるをよき人とほむる、南蠻には、ねの高直なる小袖をきて、きらのいつくしき者をよき人と申す由きけば、すへになりたる家は人の褒貶南蠻流なり、
現代語訳
中国牢人の井上新左衛門と申す侍の雑談に、唐にはどのように賤しき者をも、心の至ったのをよき人と褒める。南蛮には、値の高直なる小袖を着て、綺羅の美しき者をよき人と申す由を聞けば、末になりたる家は人の褒貶が南蛮流である。
解説
人の値打ちを心で見るか、身なりで見るかで唐と南蛮を分ける。そのうえで、衰えてきた家では身なりで人を褒め貶すようになると言う。家の傾きが、人の褒め方に先に現れるという見方になっている。家の傾きが、人の褒め方に先に現れるという見方になっている。心で見るか身なりで見るかを、唐と南蛮に分けて対比させている。
この章句が説くこと
褒貶身なり心唐南蛮末
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