甲陽軍鑑 / 品第四十
一或る年信玄公旗本の少身なる人に、長貫と云侍と高坂彈正甥春日惣次郎と申侍と、知行百姓の堺問答にてしかも春日惣次郞道理也、然る所に信玄公馬塲美濃守·內藤修理正·高坂彈正·山縣三郞兵衞·小山田備中·眞田源太左衞門·小山田彌三郞其外各を召て仰出さるゝは、信玄が家にて武邊手抦の事は申に及ばず、公事沙汰其外一切の儀四ヶ條は一入心つくる仕置也、第一大身衆親類の事、第二に我前へ出ずする者の親類共の事、第三に武田一家衆の事、第四に小身にても類親廣き者共の事、右四人をば十の理を七ツのけて三ツと聞候間、此度春日惣次郞公事理なり共負に仕候へとて春日惣次郞公事の理を持候へ共高坂彈正が甥なる故、其公事惣次郞負になる、
新字:一或る年信玄公旗本の少身なる人に、長貫と云侍と高坂弾正甥春日惣次郎と申侍と、知行百姓の堺問答にてしかも春日惣次郎道理也、然る所に信玄公馬塲美濃守·内藤修理正·高坂弾正·山県三郎兵衛·小山田備中·真田源太左衛門·小山田弥三郎其外各を召て仰出さるゝは、信玄が家にて武辺手抦の事は申に及ばず、公事沙汰其外一切の儀四ヶ条は一入心つくる仕置也、第一大身衆親類の事、第二に我前へ出ずする者の親類共の事、第三に武田一家衆の事、第四に小身にても類親広き者共の事、右四人をば十の理を七ツのけて三ツと聞候間、此度春日惣次郎公事理なり共負に仕候へとて春日惣次郎公事の理を持候へ共高坂弾正が甥なる故、其公事惣次郎負になる、
書き下し
一或る年信玄公旗本の少身なる人に、長貫と云侍と高坂弾正甥春日惣次郎と申侍と、知行百姓の堺問答にてしかも春日惣次郎道理也、然る所に信玄公馬塲美濃守·内藤修理正·高坂弾正·山県三郎兵衛·小山田備中·真田源太左衛門·小山田弥三郎其外各を召て仰出さるゝは、信玄が家にて武辺手抦の事は申に及ばず、公事沙汰其外一切の儀四ヶ条は一入心つくる仕置也、第一大身衆親類の事、第二に我前へ出ずする者の親類共の事、第三に武田一家衆の事、第四に小身にても類親広き者共の事、右四人をば十の理を七ツのけて三ツと聞候間、此度春日惣次郎公事理なり共負に仕候へとて春日惣次郎公事の理を持候へ共高坂弾正が甥なる故、其公事惣次郎負になる、
現代語訳
一、ある年、信玄公の旗本の小身なる人に、長貫という侍と、高坂弾正の甥の春日惣次郎と申す侍と、知行百姓の境の問答にて、しかも春日惣次郎に道理がある。しかるところに信玄公が、馬場美濃守・内藤修理正・高坂弾正・山県三郎兵衛・小山田備中・真田源太左衛門・小山田弥三郎、そのほか方々を召して仰せ出だされるには、信玄が家にて武辺・手柄の事は申すに及ばず、公事沙汰そのほか一切の儀、四か条は一入心を付ける仕置きである。第一に大身衆の親類の事。第二に我が前へ出づる者の親類どもの事。第三に武田一家衆の事。第四に小身にても類親の広い者どもの事。右の四人をば、十の理を七つ除けて三つと聞き候あいだ、このたび春日惣次郎の公事は理であるとも負けにいたし候えとて、春日惣次郎は公事の理を持ち候えども高坂弾正の甥であるゆえに、その公事は惣次郎の負けになる。
解説

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