甲陽軍鑑 / 品第四十
四國牢人に村上源之丞と申者は堺の紹鷗が雜談をきゝたるとて我等にかたる、數寄者と茶ノ湯者は別なり、茶湯者と申は手前よく茶たてゝ、料理よくして、いかにも塩梅よく茶湯座敷にて振舞する人を申、扨又數寄者と申は、振舞に一汁一采なりとも仕り茶は雲脚にても心の奇麗なるを數寄者と名付てよび候元來數寄は禪僧から出たるわざにて如件、諸宗は佛語、禪宗は佛心とて意地を肝要にして、
新字:四国牢人に村上源之丞と申者は堺の紹鷗が雑談をきゝたるとて我等にかたる、数寄者と茶ノ湯者は別なり、茶湯者と申は手前よく茶たてゝ、料理よくして、いかにも塩梅よく茶湯座敷にて振舞する人を申、扨又数寄者と申は、振舞に一汁一采なりとも仕り茶は雲脚にても心の奇麗なるを数寄者と名付てよび候元来数寄は禅僧から出たるわざにて如件、諸宗は仏語、禅宗は仏心とて意地を肝要にして、
書き下し
四国牢人に村上源之丞と申者は堺の紹鷗が雑談をきゝたるとて我等にかたる、数寄者と茶ノ湯者は別なり、茶湯者と申は手前よく茶たてゝ、料理よくして、いかにも塩梅よく茶湯座敷にて振舞する人を申、扨又数寄者と申は、振舞に一汁一采なりとも仕り茶は雲脚にても心の奇麗なるを数寄者と名付てよび候元来数寄は禅僧から出たるわざにて如件、諸宗は仏語、禅宗は仏心とて意地を肝要にして、
現代語訳
四国牢人に村上源之丞と申す者は、堺の紹鷗の雑談を聞いたとて我らに語る。数寄者と茶の湯者は別である。茶の湯者と申すのは、手前よく茶を立てて、料理よくして、いかにも塩梅よく茶の湯座敷にて振舞いする人を申す。さてまた数寄者と申すのは、振舞いに一汁一菜なりともいたし、茶は雲脚にても心の奇麗なるを数寄者と名付けて呼び候。元来、数寄は禅僧から出た業にて件のごとし。諸宗は仏語、禅宗は仏心とて、意地を肝要にして。
解説
もてなしの上手を茶の湯者と呼び、一汁一菜で雲脚の茶でも心の奇麗なのを数寄者と呼んで分ける。出来映えで測るか、心の置き所で測るかの違いである。数寄は禅から出た業で、禅は言葉ではなく心を肝要とするからだと続いていく。出来映えで測るか、心の置き所で測るかの違いである。数寄は禅から出た業で、禅は言葉ではなく心を肝要とするからだと続いていく。
この章句が説くこと
数寄者茶の湯心もてなし禅紹鷗
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