甲陽軍鑑 / 品第四十
一或る時土屋右衛門尉が高坂彈正に問ひていはく、奉公人の武道たしなめと申せば喧嘩數寄になる、いかにも人よくせよと申せば武士道無心懸になる、此間は何としめして家風をよく仕らん、願は高坂彈正殿分別をきかんといへば、高坂いはく、別の事なし奉公人の行義·作法面々が腰にさすかたな·脇ざしのごとくに仕れと仕置なされよ、
新字:一或る時土屋右衛門尉が高坂弾正に問ひていはく、奉公人の武道たしなめと申せば喧嘩数寄になる、いかにも人よくせよと申せば武士道無心懸になる、此間は何としめして家風をよく仕らん、願は高坂弾正殿分別をきかんといへば、高坂いはく、別の事なし奉公人の行義·作法面々が腰にさすかたな·脇ざしのごとくに仕れと仕置なされよ、
書き下し
一或る時土屋右衛門尉が高坂弾正に問ひていはく、奉公人の武道たしなめと申せば喧嘩数寄になる、いかにも人よくせよと申せば武士道無心懸になる、此間は何としめして家風をよく仕らん、願は高坂弾正殿分別をきかんといへば、高坂いはく、別の事なし奉公人の行義·作法面々が腰にさすかたな·脇ざしのごとくに仕れと仕置なされよ、
現代語訳
一、ある時、土屋右衛門尉が高坂弾正に問うて言うには、奉公人に武道を嗜めと申せば喧嘩数寄になる。いかにも人によくせよと申せば武士道に無心懸けになる。この間は何としめして家風をよくいたそう。願わくは高坂弾正殿の分別を聞かんと言えば、高坂が言うには、別の事はない。奉公人の行儀・作法は、面々が腰に差す刀・脇指のごとくにいたせと仕置きなされよ。
解説
武道を勧めれば喧嘩好きになり、人当たりをよくせよと言えば武士らしさが抜ける。その間をどう取るかという問いに、腰の刀と同じようにせよという答えが返る。以下、刀の手入れの一つ一つが、そのまま人の育て方の話になっていく。以下、刀の手入れの一つ一つが、そのまま人の育て方の話になっていく。武道と人当たりの兼ね合いを、道具の扱いに置き換えて答えている。
この章句が説くこと
行儀作法刀喧嘩家風高坂
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