甲陽軍鑑 / 品第四十
四年以前に他界まします信玄、今迄御在世に付ては天下の仕置なさるゝ事なにうたがひあらんや、子細は伊勢·越前·河內·和泉·四國其外紀伊國·大和國小身なる者共まで信玄公へ申通し、法性院殿都入を相待とある事なり、さありて三河の家康をさへおしつぶせば、信長大身にてもそれはあまり手間とらぬ事、
新字:四年以前に他界まします信玄、今迄御在世に付ては天下の仕置なさるゝ事なにうたがひあらんや、子細は伊勢·越前·河内·和泉·四国其外紀伊国·大和国小身なる者共まで信玄公へ申通し、法性院殿都入を相待とある事なり、さありて三河の家康をさへおしつぶせば、信長大身にてもそれはあまり手間とらぬ事、
書き下し
四年以前に他界まします信玄、今迄御在世に付ては天下の仕置なさるゝ事なにうたがひあらんや、子細は伊勢·越前·河内·和泉·四国其外紀伊国·大和国小身なる者共まで信玄公へ申通し、法性院殿都入を相待とある事なり、さありて三河の家康をさへおしつぶせば、信長大身にてもそれはあまり手間とらぬ事、
現代語訳
四年以前に他界なされた信玄が、今まで御在世につけては、天下の仕置きをなされる事に何の疑いがあろうか。子細は、伊勢・越前・河内・和泉・四国、そのほか紀伊国・大和国の小身なる者どもまで信玄公へ申し通し、法性院殿の都入りを相待つとある事である。そうであって、三河の家康をさえ押しつぶせば、信長は大身であってもそれはあまり手間の取らぬ事。
解説
もし信玄が生きていればという話が始まる。遠国の小さな者たちまでが連絡をつけてきて、その上洛を待っていたという。人数や国の広さではなく、待っている者がどれだけいるかを根拠にしている点が目を引く。人数や国の広さではなく、待っている者がどれだけいるかを根拠にしている点が目を引く。遠国の小さな者たちまでが連絡をつけてきていた。
この章句が説くこと
信玄都入諸国待つ家康信長
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第三十九信玄望みは、天下に旗をたつべきとの儀なれども、かやうに死する上は結句天下へのぼり仕置仕残し、汎々成時分に相果たるより只今しミて信玄存命ならば、都へのほり申べきものをと諸人批判は大慶也、就中弓箭の事、信長·家康果報のつよき者共と取合をはじめ候故、信玄一入はやく命縮と覚たり、
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『甲陽軍鑑』品第四十家康いま信長と二世迄の入魂につき両方加勢をすけあひ、それ故ふたりけんごなれ共、信長敵は上方十四ヶ国の間にて信長に国とられぬをもとにして、信長国へとりかけんと存ずる武士一人もなき故かくのごとく次第に大身なる、家康はいつまでも三河一国、遠州三ケ一ならば終には家康·信長被官のやうになりて後祝言は申しつ、信玄公の明日にも目をふさぎ給はゝ信長安堵して、今こそ嫡子の城介殿と同意に思ふとて、三ツの桃を一ツ送る共、强敵·大敵の六ケ敷信玄公御座なくば家康を信長ころし候はん、それに大事なくば家康果報の儀、少々のかんがへには成りかね申さんと高坂がいへば、馬塲美濃大誓文をたて我等もそれなりと云ふ、内藤修理も同誓文にて右の通りなり一或時小笠原慶安斎へ宿老衆振舞によりあふて、
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『甲陽軍鑑』品第三十九次に信長とは切所をかまへ対陣をながくはり候はゝ、あなたは大軍、遠き陣ならば五畿内近江·伊勢、人数草臥、無理成働き仕る時分一しほのけ候はこ立なをす事有まじく候、家康は信玄死したると聞候はゝ駿河迄もはたらき申べく候間、駿河の国中へ入たて討取申べく候、小田原をば無理にかこつておしつぶし候とも手間は取まじく候、氏政定て信玄死したると聞候はこ人質をも、すてふりを可仕候間、
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『甲陽軍鑑』品第四十たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大将死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大将分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、