甲陽軍鑑 / 品第四十
一高坂がいはく、名大將は大略出家にすく者なり、或時越後の謙信曹洞家の法興和尙にあふて大なる栗を輝虎とりて、此和尙に進じ奉りて謙信宣ふ、此栗を十里にたしてまいり候へとあれば、和尙其栗をうけ取りていはく、則ち此栗をむき、五り〳〵とかみわりてくひ候はんと和尙宣へば、謙信殊の外機嫌能くまし〳〵たると聞也、
新字:一高坂がいはく、名大将は大略出家にすく者なり、或時越後の謙信曹洞家の法興和尚にあふて大なる栗を輝虎とりて、此和尚に進じ奉りて謙信宣ふ、此栗を十里にたしてまいり候へとあれば、和尚其栗をうけ取りていはく、則ち此栗をむき、五り〳〵とかみわりてくひ候はんと和尚宣へば、謙信殊の外機嫌能くまし〳〵たると聞也、
書き下し
一高坂がいはく、名大将は大略出家にすく者なり、或時越後の謙信曹洞家の法興和尚にあふて大なる栗を輝虎とりて、此和尚に進じ奉りて謙信宣ふ、此栗を十里にたしてまいり候へとあれば、和尚其栗をうけ取りていはく、則ち此栗をむき、五り〳〵とかみわりてくひ候はんと和尚宣へば、謙信殊の外機嫌能くまし〳〵たると聞也、
現代語訳
一、高坂が言うには、名大将は大略、出家に好く者である。ある時、越後の謙信が曹洞家の法興和尚に会って、大きな栗を輝虎が取り、この和尚に進じたてまつって謙信が宣う。この栗を十里に足して参られ候えとあれば、和尚はその栗を受け取って言うには、すなわちこの栗を剥き、五里五里と噛み割って食い候わんと和尚が宣えば、謙信は殊のほか機嫌よくおられたと聞くのである。
解説
栗を十里の道の足しにせよという言葉遊びに、剥いて五里五里と噛み割って食おうと返す。十里を五里と五里に割るのと、栗を二つに割るのを重ねている。無理な注文を、そのまま言葉の上で果たしてみせた形である。無理な注文を、そのまま言葉の上で果たしてみせた形である。十里を五里と五里に割るのと、栗を二つに割るのを重ねているのが面白い。
この章句が説くこと
謙信法興栗言葉機知問答
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