甲陽軍鑑 / 品第四十
馬塲殿·內藤殿·山縣殿·高坂殿聞き給へ、町人は武邊の義も力の强き物斗り手抦をすると思ふとみへて、普光院殿を討ち奉る赤松左京太夫を贔負の町人譽めて書きたる物の本に、赤松が力を三百人力と書き付けたる由申して笑ひ候へば、馬塲美濃申さるゝ、されば侍衆が商の雜談仕るに左樣のぶあんない成る事多うして、さこそ侍を町人おかしく思ひ笑ふらめ、其道々によりて家の事になきは取りさたおかしき者にて候と馬塲美濃いはるゝ也、
新字:馬塲殿·内藤殿·山県殿·高坂殿聞き給へ、町人は武辺の義も力の强き物斗り手抦をすると思ふとみへて、普光院殿を討ち奉る赤松左京太夫を贔負の町人誉めて書きたる物の本に、赤松が力を三百人力と書き付けたる由申して笑ひ候へば、馬塲美濃申さるゝ、されば侍衆が商の雑談仕るに左様のぶあんない成る事多うして、さこそ侍を町人おかしく思ひ笑ふらめ、其道々によりて家の事になきは取りさたおかしき者にて候と馬塲美濃いはるゝ也、
書き下し
馬塲殿·内藤殿·山県殿·高坂殿聞き給へ、町人は武辺の義も力の强き物斗り手抦をすると思ふとみへて、普光院殿を討ち奉る赤松左京太夫を贔負の町人誉めて書きたる物の本に、赤松が力を三百人力と書き付けたる由申して笑ひ候へば、馬塲美濃申さるゝ、されば侍衆が商の雑談仕るに左様のぶあんない成る事多うして、さこそ侍を町人おかしく思ひ笑ふらめ、其道々によりて家の事になきは取りさたおかしき者にて候と馬塲美濃いはるゝ也、
現代語訳
馬場殿・内藤殿・山県殿・高坂殿、聞き給え。町人は武辺の義も力の強い者ばかりが手柄をすると思うと見えて、普光院殿を討ちたてまつる赤松左京太夫を、最負の町人が褒めて書いた物の本に、赤松の力を三百人力と書き付けた由を申して笑い候えば、馬場美濃が申される。されば、侍衆が商いの雑談をいたすに、さような不案内である事が多うして、さこそ侍を町人はおかしく思い笑うであろう。その道々によって、家の事にないものは取り沙汰がおかしい者でございますと、馬場美濃が言われるのである。
解説
この章句が説くこと
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