甲陽軍鑑 / 品第四十
一或時長禪寺春國和尙の弟子高山和尙登城の刻、毘沙門堂にて信玄公高山和尙に問ひ給ふ、高山は富士と何れ、高山答て云ふ、脚下をみよ、信玄公宣く、仰之彌高、高山云ふ、珍重、
新字:一或時長禅寺春国和尚の弟子高山和尚登城の刻、毘沙門堂にて信玄公高山和尚に問ひ給ふ、高山は富士と何れ、高山答て云ふ、脚下をみよ、信玄公宣く、仰之弥高、高山云ふ、珍重、
書き下し
一或時長禅寺春国和尚の弟子高山和尚登城の刻、毘沙門堂にて信玄公高山和尚に問ひ給ふ、高山は富士と何れ、高山答て云ふ、脚下をみよ、信玄公宣く、仰之弥高、高山云ふ、珍重、
現代語訳
一、ある時、長禅寺の春国和尚の弟子、高山和尚が登城の刻、毘沙門堂にて信玄公が高山和尚に問い給う。高山は富士といずれぞ。高山が答えて言う、脚下を見よ。信玄公が宣く、これを仰げばいよいよ高し。高山が言う、珍重。
解説
名を掛けて、あなたと富士とどちらが高いかと問う。高山は足元を見よと返す。信玄が、仰げばいよいよ高しと古い句で応じ、高山が珍重と受けて終わる。高さを問われて足元を示し、そこを高いと言われて収まる短い応酬である。高さを問われて足元を示し、そこを高いと言われて収まる短い応酬である。名を掛けた問いに、名のとおりの答えで返した形になっている。
この章句が説くこと
高山富士脚下問答禅信玄
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