甲陽軍鑑 / 品第四十
以上是より次に信玄公の御出語有り、或夜の事なるに信玄公御咄衆小笠原慶安齋·板坂法印·寺島甫安齋·岡田堅桃齋·長坂長閑齋·長遠寺·一花堂·新藤金額齋·小俣〓甫、其外各へ尋給ふ、工夫と思案は別か同じかと仰らるれば、もろ〳〵の中に長坂長閑一ツ事なりと申上る、信玄公御諚には別なり、古語に、工夫乾坤通幽微、思案唯心在好望所と云ふ則は、工夫と思案は少し違ふ事也、
新字:以上是より次に信玄公の御出語有り、或夜の事なるに信玄公御咄衆小笠原慶安斎·板坂法印·寺島甫安斎·岡田堅桃斎·長坂長閑斎·長遠寺·一花堂·新藤金額斎·小俣〓甫、其外各へ尋給ふ、工夫と思案は別か同じかと仰らるれば、もろ〳〵の中に長坂長閑一ツ事なりと申上る、信玄公御諚には別なり、古語に、工夫乾坤通幽微、思案唯心在好望所と云ふ則は、工夫と思案は少し違ふ事也、
書き下し
以上是より次に信玄公の御出語有り、或夜の事なるに信玄公御咄衆小笠原慶安斎·板坂法印·寺島甫安斎·岡田堅桃斎·長坂長閑斎·長遠寺·一花堂·新藤金額斎·小俣〓甫、其外各へ尋給ふ、工夫と思案は別か同じかと仰らるれば、もろ〳〵の中に長坂長閑一ツ事なりと申上る、信玄公御諚には別なり、古語に、工夫乾坤通幽微、思案唯心在好望所と云ふ則は、工夫と思案は少し違ふ事也、
現代語訳
以上、これより次に信玄公の御出語がある。ある夜のことであるが、信玄公が御咄衆の小笠原慶安斎・板坂法印・寺島甫安斎・岡田堅桃斎・長坂長閑斎・長遠寺・一花堂・新藤金額斎・小俣某、そのほかそれぞれへ尋ねられ、工夫と思案は別か同じかと仰せられたところ、もろもろの中で長坂長閑が同じ事であると申し上げた。信玄公の御諚には、別である。古語に、工夫は乾坤の幽微に通じ、思案はただ心の好む所にある、という則があるから、工夫と思案は少し違う事である、と。
解説

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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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