甲陽軍鑑 / 品第四十
毘沙門堂においてなさるこ、或時惠林寺智勝國師二番目の弟子南化和尙登城の時分、信玄公南化にとひ給ふ、いかなるか是過去佛、南化答て云、昨夜金烏飛入海、信玄公又いかなるか是現在佛、南化云ふ、曉天依舊一輪紅、信玄公如何是れ未來佛、南化云ふ、明夜陰晴未可知、信玄公南化和尙を拜しなさるゝ也、
新字:毘沙門堂においてなさるこ、或時恵林寺智勝国師二番目の弟子南化和尚登城の時分、信玄公南化にとひ給ふ、いかなるか是過去仏、南化答て云、昨夜金烏飛入海、信玄公又いかなるか是現在仏、南化云ふ、暁天依旧一輪紅、信玄公如何是れ未来仏、南化云ふ、明夜陰晴未可知、信玄公南化和尚を拝しなさるゝ也、
書き下し
毘沙門堂においてなさるこ、或時恵林寺智勝国師二番目の弟子南化和尚登城の時分、信玄公南化にとひ給ふ、いかなるか是過去仏、南化答て云、昨夜金烏飛入海、信玄公又いかなるか是現在仏、南化云ふ、暁天依旧一輪紅、信玄公如何是れ未来仏、南化云ふ、明夜陰晴未可知、信玄公南化和尚を拝しなさるゝ也、
現代語訳
毘沙門堂においてなされる。ある時、恵林寺の智勝国師の二番目の弟子、南化和尚が登城の時分、信玄公が南化に問い給う。いかなるかこれ過去仏。南化が答えて言う、昨夜、金烏は海に飛び入る。信玄公がまた、いかなるかこれ現在仏。南化が言う、暁天、旧に依って一輪紅なり。信玄公、いかなるかこれ未来仏。南化が言う、明夜の陰晴はいまだ知るべからず。信玄公は南化和尚を拝しなされるのである。
解説
過去仏・現在仏・未来仏を問われて、南化は昨夜沈んだ日、今朝また昇る日、明日の晴れ曇りで答える。未来だけは知りようがないと言い切ったところで、信玄が拝む。三つとも同じ一つの日を、時の位置だけ変えて示している。三つとも同じ一つの日を、時の位置だけ変えて示している。未来だけは知りようがないと言い切ったところで、信玄が拝んだと記される。
この章句が説くこと
南化過去現在未来問答信玄
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