甲陽軍鑑 / 品第四十
一或時信玄公宣ふ、人が人にしてみせ、或はいふつ、しつ有りてきかする事も有る、一切のことわざ上中下共に一人につき三ツあるぞ、第一に其位より出來る事一ツあり、第二に不出來なる事一ツあり、第三に出來も不出來もなく其身位ほど仕る事あり、扨又其みる人仕手聞く人は、まづ無分別なる者の批判に出來たるをみては上手とほめ、同してが不出來なるを見聞ては下手といふてそしる、三度三樣の取りさたにて、それは口計り利根にて心の至らぬ者共の昨日が今日にかはる人にはほめられて曲なし、たゞそしりてくれよかし、是れは見聞が人の事、
新字:一或時信玄公宣ふ、人が人にしてみせ、或はいふつ、しつ有りてきかする事も有る、一切のことわざ上中下共に一人につき三ツあるぞ、第一に其位より出来る事一ツあり、第二に不出来なる事一ツあり、第三に出来も不出来もなく其身位ほど仕る事あり、扨又其みる人仕手聞く人は、まづ無分別なる者の批判に出来たるをみては上手とほめ、同してが不出来なるを見聞ては下手といふてそしる、三度三様の取りさたにて、それは口計り利根にて心の至らぬ者共の昨日が今日にかはる人にはほめられて曲なし、たゞそしりてくれよかし、是れは見聞が人の事、
書き下し
一或時信玄公宣ふ、人が人にしてみせ、或はいふつ、しつ有りてきかする事も有る、一切のことわざ上中下共に一人につき三ツあるぞ、第一に其位より出来る事一ツあり、第二に不出来なる事一ツあり、第三に出来も不出来もなく其身位ほど仕る事あり、扨又其みる人仕手聞く人は、まづ無分別なる者の批判に出来たるをみては上手とほめ、同してが不出来なるを見聞ては下手といふてそしる、三度三様の取りさたにて、それは口計り利根にて心の至らぬ者共の昨日が今日にかはる人にはほめられて曲なし、たゞそしりてくれよかし、是れは見聞が人の事、
現代語訳
ある時、信玄公が宣われる。人が人にしてみせ、あるいは言いつつ、仕方があって聞かせる事もある。一切の技は上中下ともに、一人につき三つあるぞ。第一にその位より出来る事が一つある。第二に不出来な事が一つある。第三に出来も不出来もなく、その身の位ほどにする事がある。さてまた、それを見る人・する人・聞く人は、まず無分別な者の批判で、出来たのを見ては上手と褒め、同じ手が不出来なのを見聞きしては下手といって謗る。三度三様の取り沙汰で、それは口ばかり利口で心の至らない者どもが、昨日が今日に変わる人には褒められて甲斐がない。ただ謗ってくれよかし。これは見聞きする人の事。
解説

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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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『春秋左氏伝』成公二年 蜀の匱盟冬、楚の師衛を侵し、遂に我が師を蜀に侵す。臧孫をして往かしむ。辭して曰く、「楚遠くして久し、固より將に退かんとす。功無くして名を受くるは、臣敢へてせず」と。楚侵して陽橋に及ぶ。孟孫往きて之に賂はんと請ふ。執斲・執鍼・織紝を以てす、皆百人。公衡質と為りて、以て盟を請ふ。楚人平を許す。十一月、公楚の公子嬰齊・蔡侯・許男・秦の右大夫說・宋の華元・陳の公孫寧・衛の孫良夫・鄭の公子去疾、及び齊國の大夫と、蜀に盟ふ。卿書せざるは、盟を匱(いつは)ればなり。是に於てか晉を畏れて竊かに楚と盟ふ。故に匱盟と曰ふ。蔡侯・許男書せざるは、楚の車に乘ればなり。之を位を失ふと謂ふ。君子曰く、「位は其れ慎まざるべからざるかな。蔡・許の君、一たび其の位を失ひて、諸侯に列するを得ず。
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『近思録』巻7 出処苟も命を知らざれば、則ち険難に恐懼し、窮戹に隕穫し、守る所亡ぶ。安んぞ能く其の善を為すの志を遂げんや。寒士の妻、弱国の臣、各其の正に安んずるのみ。苟も勢を択びて従はば、則ち悪の大なる者にして、世に容れられず。井の九三、渫治して食はれず、乃ち人才智有りて用ひられず、行ふを得ざるを以て憂惻と為すなり。蓋し剛にして中ならず、故に施為に切なり。「之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵る」者に異なり。革の六二、中正なれば則ち偏蔽無く、文明なれば則ち事理を尽す。上に応ずれば則ち権勢を得、体順なれば則ち違悖無し。時可なり、位得たり、才足れり、革に処るの至善なる者なり。必ず上下の信を待つ、故に「已日にして乃ち之を革む」なり。二の才徳の如き、当に進みて其の道を行ふべし、則ち吉にして咎無きなり。進まざれば則ち為すべきの時を失ひ、咎有りと為すなり。鼎の実有るは、乃ち人の才業有るなり。当に趨向する所を慎むべし。往く所を慎まざれば、則ち亦非義に陥る。故に曰く、「鼎に実有り、之く所を慎め。」士の高位に処るは、則ち拯ふこと有りて随ふこと無し。下位に在れば則ち当に拯ふべき有り、当に随ふべき有り、之を拯ふことを得ずして而る後に随ふ有り。「君子は思ふこと其の位を出でず。」位とは、処る所の分なり。万事各其の所有り。其の所を得れば則ち止まりて安し。若し当に行くべくして止まり、当に速かなるべくして久しく、或は過ぎ或は及ばざるは、皆其の位を出づるなり。況んや分を踰え非に拠るをや。人の止まるは久終に難し、故に節或は晩に移り、守り或は終に失ひ、事或は久しきに廃る。人の同じく患ふる所なり。艮の上九、終に敦厚なり。止まるの道の至善なり。故に曰く、「艮に敦し、吉。」中孚の初九に曰く、「虞れば吉。」象に曰く、「志未だ変ぜざるなり。」伝に曰く、信の始めに当り、志未だ従ふ所有らずして、信ずる所を虞度すれば、則ち其の正を得、是を以て吉なり。