甲陽軍鑑 / 品第四十
兩方かけてよはみ·つよみ件の家の侍大將、各番にて忠三郎が親の蒲生をば下劣の作り歌に、日野の蒲生は武者げたよ陣と申せばしもごしおこる具足をうりやれ衣めせ、と歌にうたふなれ共、子息の忠三郞は常ならぬわかものときく、親と子はちがふなり、一ツに申すは女人·町人のかざる取さたにて、武士にはきらふといふ事を內藤修理正三枝·眞田·會根內匠にくはしくかたつてきかするなり、
新字:両方かけてよはみ·つよみ件の家の侍大将、各番にて忠三郎が親の蒲生をば下劣の作り歌に、日野の蒲生は武者げたよ陣と申せばしもごしおこる具足をうりやれ衣めせ、と歌にうたふなれ共、子息の忠三郎は常ならぬわかものときく、親と子はちがふなり、一ツに申すは女人·町人のかざる取さたにて、武士にはきらふといふ事を内藤修理正三枝·真田·会根内匠にくはしくかたつてきかするなり、
書き下し
両方かけてよはみ·つよみ件の家の侍大将、各番にて忠三郎が親の蒲生をば下劣の作り歌に、日野の蒲生は武者げたよ陣と申せばしもごしおこる具足をうりやれ衣めせ、と歌にうたふなれ共、子息の忠三郎は常ならぬわかものときく、親と子はちがふなり、一ツに申すは女人·町人のかざる取さたにて、武士にはきらふといふ事を内藤修理正三枝·真田·会根内匠にくはしくかたつてきかするなり、
現代語訳
両方かけて弱み・強み、かの家の侍大将はそれぞれ番にて、忠三郎の親の蒲生をば下劣の作り歌に、日野の蒲生は武者げたよ、陣と申せば下腰が起こる、具足を売りやれ衣召せ、と歌に歌うのであるけれども、子息の忠三郎は常ならぬ若者と聞く。親と子は違うのである。一つに申すは、女人・町人の飾る取り沙汰にて武士には嫌うという事を、内藤修理正が三枝・真田・曾根内匠に詳しく語って聞かせるのである。
解説
親のほうは、具足を売って衣を着ろとまで囃す落首を作られている。それでも子は違うと見る。前の段で人を飾って評するのを退けたのと同じで、親の評判で子を決めるのもまた飾った取り沙汰だという結びになっている。親の評判で子を決めるのもまた飾った取り沙汰だ、という結びになっている。落首まで作られた親であっても、子は別に見るということである。
この章句が説くこと
蒲生落首親子評判内藤先入観
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