甲陽軍鑑 / 品第四十
縱へば出家が法門のならひ、ぜつはのごとくなるつよみにて候、人まねのつよみはかざりたる儀にて、さながら女人のごとくなり、さありて女の作法は武士道のやくにたゝぬ事にてあり、と小山田彌三郞申せば、馬塲美濃守又問ふ、百人にひとり身をすてゝ義理をたてば如何と云ふ、
新字:縦へば出家が法門のならひ、ぜつはのごとくなるつよみにて候、人まねのつよみはかざりたる儀にて、さながら女人のごとくなり、さありて女の作法は武士道のやくにたゝぬ事にてあり、と小山田弥三郎申せば、馬塲美濃守又問ふ、百人にひとり身をすてゝ義理をたてば如何と云ふ、
書き下し
縦へば出家が法門のならひ、ぜつはのごとくなるつよみにて候、人まねのつよみはかざりたる儀にて、さながら女人のごとくなり、さありて女の作法は武士道のやくにたゝぬ事にてあり、と小山田弥三郎申せば、馬塲美濃守又問ふ、百人にひとり身をすてゝ義理をたてば如何と云ふ、
現代語訳
たとえば、出家が法門の習い、説破のようである強みでございます。人まねの強みは飾った儀であって、さながら女人のようである。そうであって、女の作法は武士道の役に立たない事である、と小山田弥三郎が申せば、馬場美濃守がまた問う。百人に一人、身を捨てて義理を立てるならばいかがと言う。
解説
小山田の答えは、人まねの強さは飾りにすぎないというもの。僧が説破の型を習うように、形だけ真似た強さは役に立たない。馬場はそれで終わらせず、では百人に一人、本当に身を捨てて義理を立てる者がいたらどうかと重ねて問う。形だけ真似た強さは役に立たない、という答えで終わらせない。では百人に一人、本当に身を捨てる者がいたらどうかと、さらに重ねて問う。
この章句が説くこと
人まね飾り強み義理小山田馬場
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