甲陽軍鑑 / 品第四十
信玄公御意にて其節甥にてまします武田典厩を、小幡上總守むこになさるゝなり一馬塲美濃申す、此度小幡上總はつよき御返事をいたされ、大小·上下共に諸傍輩のほむる人の手本になるほどの儀なり、先義理專らの事なる故、ほめながらも一入おくふかく、しかもつよみ第一のほまれ也、ケ樣の調ひたるつよみを信玄公はすき給ふかと思へば、
新字:信玄公御意にて其節甥にてまします武田典厩を、小幡上総守むこになさるゝなり一馬塲美濃申す、此度小幡上総はつよき御返事をいたされ、大小·上下共に諸傍輩のほむる人の手本になるほどの儀なり、先義理専らの事なる故、ほめながらも一入おくふかく、しかもつよみ第一のほまれ也、ケ様の調ひたるつよみを信玄公はすき給ふかと思へば、
書き下し
信玄公御意にて其節甥にてまします武田典厩を、小幡上総守むこになさるゝなり一馬塲美濃申す、此度小幡上総はつよき御返事をいたされ、大小·上下共に諸傍輩のほむる人の手本になるほどの儀なり、先義理専らの事なる故、ほめながらも一入おくふかく、しかもつよみ第一のほまれ也、ケ様の調ひたるつよみを信玄公はすき給ふかと思へば、
現代語訳
信玄公の御意にて、その節、甥でおられる武田典厩を小幡上総守の婿になされるのである。一、馬場美濃が申す。このたび小幡上総は強い御返事をいたされ、大小・上下ともに諸傍輩の褒める、人の手本になるほどの儀である。まず義理専らの事であるゆえに、褒めながらも一入奥深く、しかも強み第一の誉れである。このような調った強みを信玄公はお好みかと思えば、
解説
断った側に、信玄の甥を婿として付ける。馬場はその返事を、義理が先にあるから褒めるだけでは足りない奥深さがあり、しかも強さとして第一だと評する。ただし、こういう強みを好むのかと思えば、と続いて話が裏返る。義理が先にあるから、褒めるだけでは足りない奥深さがあるという評である。ただし、こういう強みを好むのかと思えば、と話が裏返っていく。
この章句が説くこと
強み義理誉れ馬場婿手本
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