甲陽軍鑑 / 品第四十
其いはれは我古主の上杉則政をうとみ、其意趣を以て越後國の輝虎ににくまれ、同名小幡三河守我あひむこにて候へ共、欲をかまへ、輝虎たちがけを以て計略仕り、それがし內の者を悉く引き付け、此上總をうたんと仕る刻、我等甲府へはしり參り信玄公御扶持を得奉り、いはんや信州日向において五千貫の堪忍分を仰せ付らるこ、其後やがて本領へ歸參いたす義ひとへに信玄公御めぐみ故なれば、
新字:其いはれは我古主の上杉則政をうとみ、其意趣を以て越後国の輝虎ににくまれ、同名小幡三河守我あひむこにて候へ共、欲をかまへ、輝虎たちがけを以て計略仕り、それがし内の者を悉く引き付け、此上総をうたんと仕る刻、我等甲府へはしり参り信玄公御扶持を得奉り、いはんや信州日向において五千貫の堪忍分を仰せ付らるこ、其後やがて本領へ帰参いたす義ひとへに信玄公御めぐみ故なれば、
書き下し
其いはれは我古主の上杉則政をうとみ、其意趣を以て越後国の輝虎ににくまれ、同名小幡三河守我あひむこにて候へ共、欲をかまへ、輝虎たちがけを以て計略仕り、それがし内の者を悉く引き付け、此上総をうたんと仕る刻、我等甲府へはしり参り信玄公御扶持を得奉り、いはんや信州日向において五千貫の堪忍分を仰せ付らるこ、其後やがて本領へ帰参いたす義ひとへに信玄公御めぐみ故なれば、
現代語訳
そのいわれは、我が古主の上杉則政を疎み、その意趣をもって越後国の輝虎に憎まれ、同名の小幡三河守は我が相婿でございますけれども、欲を構え、輝虎の立ち掛けをもって計略をいたし、それがしの内の者をことごとく引き付け、この上総を討とうといたした時、我らは甲府へ走り参り、信玄公の御扶持を得たてまつり、いわんや信州日向において五千貫の堪忍分を仰せ付けられる。その後やがて本領へ帰参いたす義は、ひとえに信玄公の御恵みゆえであれば、
解説
上意に背けない理由のほうを先に並べる。古主に疎まれ、相婿に計略をかけられて討たれかけたところを、信玄に拾われて扶持をもらい、本領まで取り戻した。受けた恩を数え上げてから、それでも申し上げたい事がある、と続く形になっている。受けた恩を数え上げてから、それでも申し上げたい事がある、と続く形になっている。断る前に、断りにくい理由を自分で全部並べている。
この章句が説くこと
小幡上総輝虎相婿恩扶持帰参
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