甲陽軍鑑 / 品第四十
殊更座敷にて侍のつきあひに、さかづきは中あしき人のさし給ふ共慇懃にいたゞき、いくたびものむべし、相手慇懃にせば、さす人も猶慇懃にせよ、又少し意趣あるを失念して不慮に盃さすに、いやといはゝ無理にのませよ、さゝるゝ人も心ならずいやと申す共、其後は無是非のむべからず、さるにつきて、たがひによき武士はいづれも甲乙あるまじ、甲乙なくばうちはたすべきなり、然れば賴み奉る主君の御用にたゝずして少しの儀に身上を破る儀、君臣共におほひなる損にてはなきか、是れをもつてつねに遠慮して、ふかくつゝしむ侍を奧意有るよき武士とは申すなりと右十三人のひはんありて、
新字:殊更座敷にて侍のつきあひに、さかづきは中あしき人のさし給ふ共慇懃にいたゞき、いくたびものむべし、相手慇懃にせば、さす人も猶慇懃にせよ、又少し意趣あるを失念して不慮に盃さすに、いやといはゝ無理にのませよ、さゝるゝ人も心ならずいやと申す共、其後は無是非のむべからず、さるにつきて、たがひによき武士はいづれも甲乙あるまじ、甲乙なくばうちはたすべきなり、然れば頼み奉る主君の御用にたゝずして少しの儀に身上を破る儀、君臣共におほひなる損にてはなきか、是れをもつてつねに遠慮して、ふかくつゝしむ侍を奥意有るよき武士とは申すなりと右十三人のひはんありて、
書き下し
殊更座敷にて侍のつきあひに、さかづきは中あしき人のさし給ふ共慇懃にいたゞき、いくたびものむべし、相手慇懃にせば、さす人も猶慇懃にせよ、又少し意趣あるを失念して不慮に盃さすに、いやといはゝ無理にのませよ、さゝるゝ人も心ならずいやと申す共、其後は無是非のむべからず、さるにつきて、たがひによき武士はいづれも甲乙あるまじ、甲乙なくばうちはたすべきなり、然れば頼み奉る主君の御用にたゝずして少しの儀に身上を破る儀、君臣共におほひなる損にてはなきか、是れをもつてつねに遠慮して、ふかくつゝしむ侍を奥意有るよき武士とは申すなりと右十三人のひはんありて、
現代語訳
ことさら座敷での侍の付き合いに、盃は仲の悪い人が差されても慇懃に戴き、幾度も飲むべきである。相手が慇懃にすれば、差す人もなお慇懃にせよ。また少し意趣があるのを失念して、思いがけず盃を差すのに、いやと言うならば無理に飲ませよ。差される人も、心ならずいやと申しても、その後は是非なく飲むべきではない。それにつけて、互いによい武士はいずれも甲乙あるまい。甲乙がなければ討ち果たすべきである。しからば、頼み奉る主君の御用に立たずして少しの儀に身上を破る儀は、君臣ともに大きな損ではないか。これをもって常に遠慮して深く慎む侍を、奥意のあるよい武士とは申すのであると、右の十三人の批判があって。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十一右十六の内、我よき近づきか又は大略の知人にても、よき武士ならば仕合せよきもあしきも、あしう仕るべからず、一未練の侍なり共主君の御崇敬においては、ほめこそせず共珍重は申さん尤もなり、子細は其人をあがむるにあらず我君をあがむる儀なり、君をあがむるは我身を思ふ道理なり、いはれは主君の御かげ故をのれが渴命をつなくほどに如此、
-
『甲陽軍鑑』品第四十一人に慮外の儀、座敷にて友·傍輩の脇指又はひざなどにとりはづし、我足さはりたらば縦へ其人と中よくと、あしくと慇懃に畏り、手をつき三度戴くべし、いたゞかる人も、中よくとあしくと其時は、いかにもうちとけ、是れは迷惑と申して、あなたの手をいたゞくふりに仕るは是れたけき武士の作法ならん、人がいたゞくとて、それにのりかほをそらし、大きなる体をする人は十人·九人臆病に御座候、
-
『甲陽軍鑑』品第四十馬よりおりたらば鐙をおさへ申さんと口にていひ候へ若し又かくれあはせぬ内に、馬をのりとをす共、おろす事はかならず堪忍せよ、子細は相手が武士の作法をしらず候、武士が武士の作法をしらねば女のごとくなり、うはき者有て時宜いたすにおりよなどゝいはゞ、それはおるべからず、おるこほどならば定まりてかならすうちはたせ、就中親兄弟の敵、かちにてとをるにねらはるゝ人馬上に於ては馬に乗りたる者そこにてよくうそをいへ、其うそは君の御使に参る御免候へと、慇懃にいひてのりとをせ、それは又そこにてねらふ人も、うたぬといふて不覚にはならざるぞ、子細は馬にて乗りたてば、おひつかるまじきなり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十一路次にてひとりは馬に乗り、あしだをはき、一人はかちにて行けば其人と互に中よくとあしくと歩の人ものかげへかくるゝ事尤もなり、扨又馬にのり或はあしだをはく人は、是も又其人と中よくと悪くと、かすみからおりて時宜をいたせ、あいてのかくるゞは人を六ケ敷馬よりおろすまじきといふ事なれば、是は侍の時宜ふかし、人の時宜するに此方より時宜をせざるは大非義にて候、中あしくは用心のためにも馬よりおり、あしだをぬく事よき武士の作法なり、扨あゆみ行く人は、あなた時宜をし給はゝ中あしく共うちとけがほにて、ぼくりはく人ぬぎたらば、こなたはざうりをぬぎ、
-
『甲陽軍鑑』品第四十武士は大小によらず武道を心がくる事第一也、武道を心がくる共、不弁にて事たらずは心に存じても万つ成がたし、事かなはねば武具·馬蔵見苦敷く、似合のよき被官もつるゝ事ならず、去程に男をたて、頼もしう奉公の忠節もすりきりては成まじ、人は分々相当に身を持分限成者をば主の方へ一忠節と思して、ケ様の侍に目を付て取立ツる事肝要也、但分限の有者に物をためておくお三年く引こまんと思ふか、扨は息女子などに能婿をとらんと存候者、物をたむる侍を見そこなふて加恩すれば、
-
『甲陽軍鑑』品第四十一或る時土屋右衛門尉が高坂弾正に問ひていはく、奉公人の武道たしなめと申せば喧嘩数寄になる、いかにも人よくせよと申せば武士道無心懸になる、此間は何としめして家風をよく仕らん、願は高坂弾正殿分別をきかんといへば、高坂いはく、別の事なし奉公人の行義·作法面々が腰にさすかたな·脇ざしのごとくに仕れと仕置なされよ、