甲陽軍鑑 / 品第四十
口すさびの物がたり是れなり、その大身衆は馬塲美濃守·眞田源太左衞門丞·内藤修理正·山縣三郞兵衞尉·保科彈正忠·同兵部介·高坂彈正少弼·小幡上總守·原隼人佐·岡部次郞右衞門尉·小山田彌三郎·土屋右衞門尉·朝比奈駿河守右十三人の中に土屋右衞門尉申す、皆宿老衆聞き給へ、侍武士道のかせぎは申すに及ばず一切につゐて善惡の儀、人を證人に立つるはおろかなり、只我心を證人に仕候はゞよからんと存ずる是れ如何といへば、馬塲美濃いかにもそれ尤もに候と申さるゝ、
新字:口すさびの物がたり是れなり、その大身衆は馬塲美濃守·真田源太左衛門丞·内藤修理正·山県三郎兵衛尉·保科弾正忠·同兵部介·高坂弾正少弼·小幡上総守·原隼人佐·岡部次郎右衛門尉·小山田弥三郎·土屋右衛門尉·朝比奈駿河守右十三人の中に土屋右衛門尉申す、皆宿老衆聞き給へ、侍武士道のかせぎは申すに及ばず一切につゐて善悪の儀、人を證人に立つるはおろかなり、只我心を證人に仕候はゞよからんと存ずる是れ如何といへば、馬塲美濃いかにもそれ尤もに候と申さるゝ、
書き下し
口すさびの物がたり是れなり、その大身衆は馬塲美濃守·真田源太左衛門丞·内藤修理正·山県三郎兵衛尉·保科弾正忠·同兵部介·高坂弾正少弼·小幡上総守·原隼人佐·岡部次郎右衛門尉·小山田弥三郎·土屋右衛門尉·朝比奈駿河守右十三人の中に土屋右衛門尉申す、皆宿老衆聞き給へ、侍武士道のかせぎは申すに及ばず一切につゐて善悪の儀、人を證人に立つるはおろかなり、只我心を證人に仕候はゞよからんと存ずる是れ如何といへば、馬塲美濃いかにもそれ尤もに候と申さるゝ、
現代語訳
口すさびの物語りがこれである。その大身衆は、馬場美濃守・真田源太左衛門丞・内藤修理正・山県三郎兵衛尉・保科弾正忠・同じく兵部介・高坂弾正少弼・小幡上総守・原隼人佐・岡部次郎右衛門尉・小山田弥三郎・土屋右衛門尉・朝比奈駿河守、右の十三人の中で土屋右衛門尉が申す。みな宿老衆、聞かれよ。侍の武士道の稼ぎは申すに及ばず、一切について善悪の儀、人を証人に立てるのは愚かである。ただ我が心を証人にいたし候ならばよかろうと存ずる、これはいかがと言えば、馬場美濃はいかにもそれはもっともに候と申される。
解説
この章句が説くこと
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