甲陽軍鑑 / 品第四十
就中其藝者は出來も不出來もなきやうに、其位ほどに仕るを功者と云ふ、又元來噐用にて其みち〳〵の學をよくして、いかにも會得の上、我工夫よければ心のつき所に志して、むかしの儀ふまへ所にいたし、其人ならひの後、學をもつて味を少しづこあたらしう分別して、出來も不出來もなきやうなるは、いつもよその出來たるほどあらん、さるに付て是は其道の上手とて此人を四方にあまねく、右の通りに沙汰するを名付て名人ともいふ儀なり、でき·ふできのあるは上手のうちにて、いまだいたらぬ心ならんかと宣ふなり、
新字:就中其芸者は出来も不出来もなきやうに、其位ほどに仕るを功者と云ふ、又元来噐用にて其みち〳〵の学をよくして、いかにも会得の上、我工夫よければ心のつき所に志して、むかしの儀ふまへ所にいたし、其人ならひの後、学をもつて味を少しづこあたらしう分別して、出来も不出来もなきやうなるは、いつもよその出来たるほどあらん、さるに付て是は其道の上手とて此人を四方にあまねく、右の通りに沙汰するを名付て名人ともいふ儀なり、でき·ふできのあるは上手のうちにて、いまだいたらぬ心ならんかと宣ふなり、
書き下し
就中其芸者は出来も不出来もなきやうに、其位ほどに仕るを功者と云ふ、又元来噐用にて其みち〳〵の学をよくして、いかにも会得の上、我工夫よければ心のつき所に志して、むかしの儀ふまへ所にいたし、其人ならひの後、学をもつて味を少しづこあたらしう分別して、出来も不出来もなきやうなるは、いつもよその出来たるほどあらん、さるに付て是は其道の上手とて此人を四方にあまねく、右の通りに沙汰するを名付て名人ともいふ儀なり、でき·ふできのあるは上手のうちにて、いまだいたらぬ心ならんかと宣ふなり、
現代語訳
とりわけその芸者は、出来も不出来もないように、その位ほどにするのを功者と言う。また、もともと器用でその道々の学をよくして、いかにも会得したうえ、我が工夫がよければ心の付き所に志して、昔の儀を踏まえ所にいたし、その人が習った後、学をもって味を少しずつ新しく分別して、出来も不出来もないようであるのは、いつもよその出来た時ほどはあろう。それにつけて、これはその道の上手といって、この人を四方にあまねく右のとおりに沙汰するのを名付けて名人とも言う儀である。出来・不出来のあるのは上手のうちであって、いまだ至らない心であろうかと宣われるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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『甲陽軍鑑』品第四十七曲淵少左衛門座敷をたち、かたなをさし、又奉行所へゆき、奉行衆に向ひ手をつき謹で申すは、桜井殿には御位と御出頭はまけ申すべく候、切あひぐらは勝ち申すべく候間、これ口惜しくおぼしめし候はゞ只今御出候へ、塲中にてすかうをきりくだき進すべきよし申して、刀をねぢまはし座敷を立ち候、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十一或時信玄公宣ふ、人が人にしてみせ、或はいふつ、しつ有りてきかする事も有る、一切のことわざ上中下共に一人につき三ツあるぞ、第一に其位より出来る事一ツあり、第二に不出来なる事一ツあり、第三に出来も不出来もなく其身位ほど仕る事あり、扨又其みる人仕手聞く人は、まづ無分別なる者の批判に出来たるをみては上手とほめ、同してが不出来なるを見聞ては下手といふてそしる、三度三様の取りさたにて、それは口計り利根にて心の至らぬ者共の昨日が今日にかはる人にはほめられて曲なし、たゞそしりてくれよかし、是れは見聞が人の事、
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『正法眼蔵随聞記』巻四亦云く、南陽ノ忠国師、問紫燐供奉一、甚ノ処ヨッ来ル、奉云、城南ヨリ来ル、師云、城南ノ艸作一何ノ色ヲ、奉云、作黄色、師乃ヲ問童子、城南ノ艸作何ノ色ヲカ、子云、作黄色、師云、祇這ノ童子モ亦可ニ簾前ニ賜レート対御談ブ玄ヲ、しかあれば、童子も国皇の師として真色を答ふべし、汝が見所常途に超えずとなり、