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甲陽軍鑑 / 品第四十

一內藤修理内方の母死去なり、此隱居一向宗なればとて、甲州の內とどろきと云ふ寺の一向坊主悉く來る、さる程に餘宗のごとく死人の膳いかにも見事に內藤申し付けらるゝ時、一向宗の出家だち申すは、我宗のならひにて御阿彌陀樣へ能く食を進上申せば、わき〳〵へはいらぬ事にて候と申して亡者にむけず、內藤修理申さるゝ、それは何としてさやう法外なる立派なりとあれば、上人阿彌陀こそ肝要なれ、わきへ食をそなゆるは、まよひの心にて、一向宗から餘宗をおかしく存ずるといはるゝ、內藤修理申すは、亡者かつへば如何ととふたれば上人答て云く、阿彌陀樣へさへ食を備ゆれば、それが悉くの衆生へ施しになるといはるゝ、

新字:一内藤修理内方の母死去なり、此隠居一向宗なればとて、甲州の内とどろきと云ふ寺の一向坊主悉く来る、さる程に余宗のごとく死人の膳いかにも見事に内藤申し付けらるゝ時、一向宗の出家だち申すは、我宗のならひにて御阿弥陀様へ能く食を進上申せば、わき〳〵へはいらぬ事にて候と申して亡者にむけず、内藤修理申さるゝ、それは何としてさやう法外なる立派なりとあれば、上人阿弥陀こそ肝要なれ、わきへ食をそなゆるは、まよひの心にて、一向宗から余宗をおかしく存ずるといはるゝ、内藤修理申すは、亡者かつへば如何ととふたれば上人答て云く、阿弥陀様へさへ食を備ゆれば、それが悉くの衆生へ施しになるといはるゝ、

書き下し

一内藤修理内方の母死去なり、此隠居一向宗なればとて、甲州の内とどろきと云ふ寺の一向坊主悉く来る、さる程に余宗のごとく死人の膳いかにも見事に内藤申し付けらるゝ時、一向宗の出家だち申すは、我宗のならひにて御阿弥陀様へ能く食を進上申せば、わき〳〵へはいらぬ事にて候と申して亡者にむけず、内藤修理申さるゝ、それは何としてさやう法外なる立派なりとあれば、上人阿弥陀こそ肝要なれ、わきへ食をそなゆるは、まよひの心にて、一向宗から余宗をおかしく存ずるといはるゝ、内藤修理申すは、亡者かつへば如何ととふたれば上人答て云く、阿弥陀様へさへ食を備ゆれば、それが悉くの衆生へ施しになるといはるゝ、

現代語訳

内藤修理の内方の母が死去である。この隠居は一向宗であるからといって、甲州の内の轟という寺の一向坊主がことごとく来る。さるほどに、他宗のように死人の膳をいかにも見事に内藤が申し付けられる時、一向宗の出家たちが申すには、我が宗の習いで、御阿弥陀様へよく食を進上申せば、脇々へは要らない事でございますと申して、亡者には向けない。内藤修理が申される。それはどうしてそのように法外な立て方であるかとあれば、上人は、阿弥陀こそ肝要である、脇へ食を供えるのは迷いの心であって、一向宗から他宗をおかしく存ずると言われる。内藤修理が申すには、亡者が飢えたらどうかと問うたところ、上人が答えて言うには、阿弥陀様へさえ食を供えれば、それがことごとくの衆生への施しになると言われる。

解説

葬儀の膳をめぐるやりとり。一向宗の僧が、阿弥陀にだけ供えればよく、亡者に向けるのは迷いだと言う。内藤が、では亡者が飢えたらと問うと、阿弥陀に供えればそれが全衆生への施しになると答える。ここまでが前振りである。阿弥陀にだけ供えればよく、亡者に向けるのは迷いだと言う。その理屈をどう扱うかが、ここまでが前振りとして丁寧に置かれている。

この章句が説くこと

一向宗阿弥陀内藤問答

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