甲陽軍鑑 / 品第四十
三ケ國共もち給ふ大將は、何に付ても世間に名をとなへ申す也、子細は駿河今川氏眞公馬のあか藥、元來は公方光源院殿御秘藏の御馬わづらひて、五畿内四國·中國のはくらくにてもかなはざる所に、乞食のやうなる聖が來り、今の御馬に舍人衆三條河にて水をかくる處へ行きあたり、某なをし申さんとて彼の聖此藥一服にて御馬平癒の條、公方より此藥方を書き付けあげよとある儀にて候處に、其時分一宮隨巴と申す弓の射手光源院殿御前へ出頭人なれば、隨巴是をかき付けらるゝ、其後光源院殿御切腹あるに付て、隨巴駿河へ下り氏眞公藥數寄をあそばすをもつて、隨巴が訓へまいらせて諸人に下さるゝ故、氏眞公のあかぐすりと申しならはすなり、
新字:三ケ国共もち給ふ大将は、何に付ても世間に名をとなへ申す也、子細は駿河今川氏真公馬のあか薬、元来は公方光源院殿御秘蔵の御馬わづらひて、五畿内四国·中国のはくらくにてもかなはざる所に、乞食のやうなる聖が来り、今の御馬に舎人衆三条河にて水をかくる処へ行きあたり、某なをし申さんとて彼の聖此薬一服にて御馬平癒の条、公方より此薬方を書き付けあげよとある儀にて候処に、其時分一宮随巴と申す弓の射手光源院殿御前へ出頭人なれば、随巴是をかき付けらるゝ、其後光源院殿御切腹あるに付て、随巴駿河へ下り氏真公薬数寄をあそばすをもつて、随巴が訓へまいらせて諸人に下さるゝ故、氏真公のあかぐすりと申しならはすなり、
書き下し
三ケ国共もち給ふ大将は、何に付ても世間に名をとなへ申す也、子細は駿河今川氏真公馬のあか薬、元来は公方光源院殿御秘蔵の御馬わづらひて、五畿内四国·中国のはくらくにてもかなはざる所に、乞食のやうなる聖が来り、今の御馬に舎人衆三条河にて水をかくる処へ行きあたり、某なをし申さんとて彼の聖此薬一服にて御馬平癒の条、公方より此薬方を書き付けあげよとある儀にて候処に、其時分一宮随巴と申す弓の射手光源院殿御前へ出頭人なれば、随巴是をかき付けらるゝ、其後光源院殿御切腹あるに付て、随巴駿河へ下り氏真公薬数寄をあそばすをもつて、随巴が訓へまいらせて諸人に下さるゝ故、氏真公のあかぐすりと申しならはすなり、
現代語訳
阿部加賀守が言うには、三か国とも持たれる大将は、何につけても世間に名を唱え申すのである。子細は、駿河の今川氏真公の馬の赤薬。もともとは公方光源院殿が御秘蔵の御馬が患い、五畿内・四国・中国の伯楽でも叶わない所に、乞食のような聖が来て、今の御馬に舎人衆が三条河で水をかける所へ行き当たり、それがしが直し申そうと言って、かの聖がこの薬一服で御馬が平癒したので、公方からこの薬方を書き付けて上げよという儀であったところ、その時分、一宮随巴と申す弓の射手が光源院殿の御前の出頭人であったので、随巴がこれを書き付けられる。その後、光源院殿が御切腹あるについて、随巴は駿河へ下り、氏真公が薬数寄を遊ばすことによって随巴が教え参らせ、諸人に下されるゆえに、氏真公の赤薬と申し習わすのである。
解説

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