甲陽軍鑑 / 品第四十
名大將と申せ共一國斗りの大將をば世間のとなへも、さのみ大きくは申さぬなり、せめて二ケ國も取りて其近國三ケ國程有る我持つ國共に五ケ國にて鋒をふりて名をとり、三ケ國·四ケ國·五ケ國を支配なさるゝ大將は敵多くして沙汰多し、如此の多き敵と戰ひて種々の智略あれば、それをさたして名をよぶなり、
新字:名大将と申せ共一国斗りの大将をば世間のとなへも、さのみ大きくは申さぬなり、せめて二ケ国も取りて其近国三ケ国程有る我持つ国共に五ケ国にて鋒をふりて名をとり、三ケ国·四ケ国·五ケ国を支配なさるゝ大将は敵多くして沙汰多し、如此の多き敵と戦ひて種々の智略あれば、それをさたして名をよぶなり、
書き下し
名大将と申せ共一国斗りの大将をば世間のとなへも、さのみ大きくは申さぬなり、せめて二ケ国も取りて其近国三ケ国程有る我持つ国共に五ケ国にて鋒をふりて名をとり、三ケ国·四ケ国·五ケ国を支配なさるゝ大将は敵多くして沙汰多し、如此の多き敵と戦ひて種々の智略あれば、それをさたして名をよぶなり、
現代語訳
名大将と申しても、一国ばかりの大将を世間の唱えもそれほど大きくは申さないのである。せめて二か国も取って、その近国の三か国ほどある我が持つ国とともに五か国で矛を振って名を取り、三か国・四か国・五か国を支配なさる大将は敵が多くて沙汰が多い。このような多くの敵と戦って種々の智略があれば、それを沙汰して名を呼ぶのである。
解説
名が大きくなるのは国が広いからではなく、敵が多いからだという。三か国五か国を持てば敵が増え、敵が増えれば智略が要り、その智略が沙汰されて名になる。規模ではなく、抱える難しさの量が名を作るという説明になっている。規模ではなく、抱える難しさの量が名を作るという説明になっている。敵が多いから智略が要り、その智略が沙汰されて名になるという順序である。
この章句が説くこと
名大将敵智略規模沙汰国
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