甲陽軍鑑 / 品第四十
此外右四大將のしたに如形武士あれ共、日晝の日のことくにて主を持候へば大將といはず、十三大將の中にも主持あれ共、それは其君輕き故我まゝになりて如件右四大將より大身衆、日本國にも中國にも毛利殿つくしに大伴殿、關東に上杉殿と有つれ共、はや生替にて、前代ほどなき故か當時は先四人の御侍衆なり、扨又四大將につぎ十三大將をあわせて十七人の大將を此比國の名將と名をよぶ、
新字:此外右四大将のしたに如形武士あれ共、日昼の日のことくにて主を持候へば大将といはず、十三大将の中にも主持あれ共、それは其君軽き故我まゝになりて如件右四大将より大身衆、日本国にも中国にも毛利殿つくしに大伴殿、関東に上杉殿と有つれ共、はや生替にて、前代ほどなき故か当時は先四人の御侍衆なり、扨又四大将につぎ十三大将をあわせて十七人の大将を此比国の名将と名をよぶ、
書き下し
此外右四大将のしたに如形武士あれ共、日昼の日のことくにて主を持候へば大将といはず、十三大将の中にも主持あれ共、それは其君軽き故我まゝになりて如件右四大将より大身衆、日本国にも中国にも毛利殿つくしに大伴殿、関東に上杉殿と有つれ共、はや生替にて、前代ほどなき故か当時は先四人の御侍衆なり、扨又四大将につぎ十三大将をあわせて十七人の大将を此比国の名将と名をよぶ、
現代語訳
このほか右の四大将の下に形のとおりの武士はあるけれども、日中の日のようであって、主を持っていれば大将とは言わない。十三大将の中にも主持ちはあるけれども、それはその君が軽いゆえに我儘になって右の件のとおりである。四大将より大身の衆は、日本国にも中国にも毛利殿、筑紫に大伴殿、関東に上杉殿とあったけれども、早くも生まれ替わりで、前代ほどでないゆえか、当時はまず四人の御侍衆である。さてまた四大将に次ぐ十三大将を合わせて十七人の大将を、この頃、国の名将と名を呼ぶ。
解説
主を持つ者は、どれほど立派でも大将とは呼ばない。日中の日のようだという比喩は、太陽が出ていれば他の光は見えないという意味である。ただし主が軽ければ下の者が我儘になって大将のように振る舞う、という但し書きが付いている。主が軽ければ下の者が我儘になって大将のように振る舞う、という但し書きが付いている。日中の日のようだという比喩が効いている。
この章句が説くこと
大将主持格四大将十三大将名将
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