甲陽軍鑑 / 品第四十
扨一郡·一城或は一ケ國をもちても、小身なる者が主に取立られ、主の恩にて下され國主に成をば本の大將とはいわず、郡代·城代又は侍大將共申さん、此人の手抦あり共、よき武篇者と譽て其君へ文おそれなれば、右郡代の分など有をもたしなみの武士と申なり、さりながら小身なる侍の分別工夫をもつてよき大將へ奉公致し、小身を仕上げ、其後かはりめに主なしになり、我手抦にて半國·一國も切取に付ては是又大將と申さん、
新字:扨一郡·一城或は一ケ国をもちても、小身なる者が主に取立られ、主の恩にて下され国主に成をば本の大将とはいわず、郡代·城代又は侍大将共申さん、此人の手抦あり共、よき武篇者と誉て其君へ文おそれなれば、右郡代の分など有をもたしなみの武士と申なり、さりながら小身なる侍の分別工夫をもつてよき大将へ奉公致し、小身を仕上げ、其後かはりめに主なしになり、我手抦にて半国·一国も切取に付ては是又大将と申さん、
書き下し
扨一郡·一城或は一ケ国をもちても、小身なる者が主に取立られ、主の恩にて下され国主に成をば本の大将とはいわず、郡代·城代又は侍大将共申さん、此人の手抦あり共、よき武篇者と誉て其君へ文おそれなれば、右郡代の分など有をもたしなみの武士と申なり、さりながら小身なる侍の分別工夫をもつてよき大将へ奉公致し、小身を仕上げ、其後かはりめに主なしになり、我手抦にて半国·一国も切取に付ては是又大将と申さん、
現代語訳
さて一郡・一城、あるいは一か国を持っても、小身である者が主に取り立てられ、主の恩で下されて国主になったのを、本当の大将とは言わない。郡代・城代、または侍大将とも申そう。この人に手柄があっても、よい武篇者と褒めて、その君へは恐れであるから、右の郡代の分などがあるのを嗜みの武士と申すのである。しかしながら、小身である侍が分別と工夫をもってよい大将へ奉公いたし、小身を仕上げ、その後の代替わりに主なしになり、我が手柄で半国・一国も切り取ることについては、これもまた大将と申そう。
解説
この章句が説くこと
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