甲陽軍鑑 / 品第四十
ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智惠つかんと內藤申に、小山田彌三郞ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて內藤修理いはく、氣遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の氣遣から萬へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の樣子度々かさなりて後、自分の心得も出來り、猶以工夫·分別·廣才の智ある人に近づき候へば、扨氣遣は分別のいろはにてはなきかと、內藤小山田にをしへ候なり一小山田彌三郞內藤修理に問、
新字:ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智恵つかんと内藤申に、小山田弥三郎ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて内藤修理いはく、気遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の気遣から万へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の様子度々かさなりて後、自分の心得も出来り、猶以工夫·分別·広才の智ある人に近づき候へば、扨気遣は分別のいろはにてはなきかと、内藤小山田にをしへ候なり一小山田弥三郎内藤修理に問、
書き下し
ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智恵つかんと内藤申に、小山田弥三郎ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて内藤修理いはく、気遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の気遣から万へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の様子度々かさなりて後、自分の心得も出来り、猶以工夫·分別·広才の智ある人に近づき候へば、扨気遣は分別のいろはにてはなきかと、内藤小山田にをしへ候なり一小山田弥三郎内藤修理に問、
現代語訳
夕べに思うても分別をよくせよと、信玄公が宣われたのである。内藤修理正が言うには、信玄公の御諚に、人は分別が肝要と仰せられる。これはもっともでございます。しからば分別の儀は習いによって知恵がつくのだと内藤が申すと、小山田弥三郎が、願わくはこれを聞きたいとしきりに問う。そこで内藤修理が言うには、気遣いということがあれば分別にも近寄るだろう。右の気遣いから万へ心が付いて、自分の至らない事を分別のある人に習い、事を済ますにつけてこのような様子がたびたび重なった後、自分の心得も出てきて、なおもって工夫・分別・広才の智のある人に近づけば、さて気遣いは分別のいろはではないかと、内藤が小山田に教えるのである。
解説

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『弁名』性情才孔子曰く、「性相近し、習ひ相遠し」と。本と学を勧むるの言にして、性を論ずる者に非ず。蓋し君子と民と、其の未だ学ばざるに方りては、甚だしくは相遠からず、先王の道を習ひて以て君子の徳を成すに及びて、而る後に其の民に於けるや霄壌の異有るを見るを言ふのみ。故に其の所謂性相近しとは、亦た中人を語るのみ。中庸に曰く、「性に率ふ之を道と謂ふ」と。本と老氏の徒の先王の道を以て偽と為すが為なり。故に子思、先王は人の性に率ひて以て道を立て、之を強ふるに非ざるのみと言ふ。亦た性に率へば則ち自然に道有りと謂ふに非ざるなり。
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『童子問』卷中問ふ、楊亀山曰く、人性の上には一物をも添ふべからず。堯舜万世の法を為すも、亦只だ性に循ふのみと。而して欧陽永叔の所謂聖人人を教ふるに性は先にする所に非ずといふを以て非と為す。如何。曰く、欧陽子の言も、亦深く非とすべからざるなり。論語に曰く、性相近きなり、習相遠きなりと。此れ聖人性を責めずして、専ら習を責むるを見るなり。又曰く、教へ有りて類無しと。此れ性を貴ばずして、専ら教へを貴ぶを見るなり。蓋し教へ有れば、則ち性の美悪は論ぜざる所に在り。向に嘗て子の為に性道教の分を明らかにす。今又之を申明せん。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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